名前 | 執事施行状 |
読み方 | しつじしこうじょう |
時代 | 室町時代 |
コメント | 守護や国司への所領の引き渡しを命じた |
執事施行状は室町幕府の初期に、高師直や仁木頼章が発行した文書となります。
将軍である足利尊氏は恩賞宛行や守護の補任などの権限を持っていました。
足利尊氏が発行する恩賞充行袖判下文に重みを付けたのが、執事施行状となります。
高師直が発行する執事施行状は、足利尊氏が武士に与えた所領を国司や守護に施行させる権限があったわけです。
尚、執事施行状の元になった制度は、後醍醐天皇による建武の新政の雑訴決断所の牒にあったと考えられています。
今回は執事施行状がどの様なものだったのか解説します。
執事施行状とは何か
執事施行状は室町幕府の初期において、高師直が発給していた文書を指します、
執事施行状は、将軍の足利尊氏が恩賞充行袖判下文を沙汰付けを諸国の守護に実施させる為の文書です。
鎌倉時代にも六波羅探題による施行状は発行されていましたが、拝領者に伝えるだけであり、守護が介入する事はありませんでした。
基本的に鎌倉時代は恩賞として土地が与えられたとしても、自己の努力で土地を明渡してもらう必要がありました。
執事施行状は守護に強制執行する様に命じる事が可能であり、味方への恩賞をスムーズに部下に与え、将軍や執事の権力に重みが増す事が出来たわけです。
執事施行状と雑訴決断所
室町幕府の初期にあった執事施行状の元になったと思われる制度が、後醍醐天皇の建武の新政にあります。
建武政権では武士への恩賞の決定権を朝廷が握っていました。
建武の新政が始まると武士たちは所領安堵や恩賞を求めて、京都に殺到する事になります。
当然ながら後醍醐天皇による綸旨だけでは裁けなくなり、雑訴決断所を開設しています。
当時は後醍醐天皇の綸旨だけではなく、護良親王の令旨も多く発行されており、同じ人物に一つの所領を与えてしまった事もありました。
ここで雑訴決断所では「牒」と呼ばれる文書を発給し、国司や守護に命じる事が出来る様にしたわけです。
建武政権では綸旨を持っていても、牒が無ければ国司や守護は動いてはくれない仕組みとしました。
この綸旨が正しいのかどうかのチェックを行い牒を発行する制度が、執事施行状の元だと考えられています。
室町幕府の執事である高師直は雑訴決断所の職員だった過去があり、踏襲したのが執事施行状なのでしょう。
中世では恩賞問題が多く起こっており、手柄を挙げた武士たちに早く確実に恩賞を与えなければ求心力が低下する問題がありました。
恩賞による求心力の低下を防ぐ為の制度が、執事施行状でもあったのでしょう。
室町幕府では足利直義が所領安堵も行っていますが、所領安堵は既に土地を実効支配している場合も発行するのが大半であり、執事施行状は必要なかったわけです。