名前 | 有徳人(うとくにん) |
誕生 | 鎌倉時代後期 |
コメント | 荘園経営や経済活動で富裕層になった者を指す |
有徳人は鎌倉時代の後期に現れた荘園経営や経済活動により、富を成した富裕層を指します。
有徳人の名前から、古代中国の堯や舜の様な高徳者を想像するかも知れませんが、実際には商売などを通じて富裕層になった者を指すわけです。
寺社は物資、情報、人、学問など商売をする上で、必要な者が集約される場所でもありました。
商売で財を成すには必要な物は寺社に揃っており、有徳人は僧侶だった場合が多かったわけです。
有徳人がトラブルとなり裁判を起こされると、訴人は有徳人を「悪党」と呼んだりしていました。
有徳人の名前からイメージ的には「よくできた人」ですが、実際には悪党の方が近いと言えるでしょう。
有徳人とは何なのか
有徳人は鎌倉時代の後期に誕生しました。
当時は経済活動や荘園経営を通じて、財を成す者が現れたわけです。
現代でいえば、成り上がりの富裕層といった所でしょう。
経済活動や荘園経営により蓄財を行い富裕層になった者達を、有徳人と呼びました。
商人や荘官から富裕層になった者が有徳人でもあります。
鎌倉時代後期の貨幣経済と共に、財を成した者でもありました。
因みに、有徳人は史料用語となっています。
有徳人と寺院
有徳人は商業を行って裕福になりましたが、寺社と深く関わっています。
当時の寺社は檀家からの寄進もあり、多くの物資を保持していました。
さらに、お寺には学問が出来る者も多くいたわけです。
寺院には本寺と末寺の様な繋がりもあり、ネットワークも広がっており、人も情報も集まり商売をするのには優れた場所でもありました。
こうした事情から、有徳人は僧侶であるケースが非常に多かったわけです。
有徳人の武装
有徳人には富が集まりましたが、それだけに盗賊などに狙われやすい問題がありました。
当時は銀行もなく財が増えれば増える程、奪われる悩みも多くなったと言えます。
そこで、有徳人らは自らの財産を守るために、武装して兵力を持つ様になります。
中には武士から有徳人となり、そのまま武士団を保持するケースもありました。
これらの者は「僧形の武士」とも呼ばれ、荘園経営でトラブルを起こすと、訴人からは「悪党」と呼ばれる事も多々あったわけです。
悪党の問題が鎌倉幕府を滅ぼしたなどの説もありますが、実際には悪党と呼ばれる人々の元になっていのが、有徳人だとも言えるでしょう。
有徳人からの名前から「性格が温厚な長者」を連想するかも知れませんが、実際には、そんなに穏やかなものでもなかったはずです。