
ティリガンはグティ人の立てた王朝の最後の王です。
実際のティリガンがどの様な人物だったのかは不明ですが、ウトゥヘガルが残した碑文に登場しています。
ティリガンはウトゥヘガルに敵対した人物であり、当然ながらウトゥヘガルの碑文の全てを信用する事は出来ないでしょう。
敵対した人物をよく描かないのは、世界共通です。
最終的にティリガンはダブルムに逃亡しますが、ウトゥヘガルに引き渡されて最後を迎えました。
ティリガンはグティ王朝の最後の王でもあり、ティリガンの死を以ってグティ王朝は滅亡したと言えるでしょう。
ただし、ティリガンはウトゥヘガルの碑文に登場するだけであり、あくまでも「ウトゥヘガルが言っているだけ」とする見解もあります。
ティリガンが道を封鎖
アッカド帝国を崩壊に導いたグティ人ですが、最後の王としてティリガンの名が挙がっています。
ティリガンがどの様な実績があるのかは不明ですが、ウトゥヘガルの碑文に内容が書かれています。
ウトゥヘガルの残した碑文の記録によると、ティリガンは「私に歯向かう者はいない」と述べ、チグリス川の両岸を占拠していたと言います。
シュメル地方の南ではティリガンが耕地を封鎖し、北方では道を閉鎖しました。
国土の道は封鎖され永い雑草に覆われる事になります。
ティリガンの最後
ティリガンの打倒に動いたのがウルクのウトゥヘガルであり、途中で諸神殿で戦勝祈願の犠牲を捧げながら進軍しました。
ティリガンはウトゥヘガルに敗れました。
ウトゥヘガルに敗れたティリガンはダブルムに逃亡し、住民たちに受け入れられています。
しかし、ウトゥヘガルがエンリル神が力を授けた王である事を知ると、ティリガンに反発する様になりました。
ティリガンは最終的に妻子と共に捕らえられ、手枷と目隠しをされウトゥ神の足下にティリガンを横たえ、彼の首に足を置いたとあります。
普通に読めばティリガンはウトゥヘガルにより、捕らえられ処刑されたという事なのでしょう。
ティリガンの死を以てグティ人のメソポタミア統治は終わりを告げています。
尚、ティリガンを打倒したウトゥヘガルですが、短期間の当地で終わった様であり、部下のウルナンムがウル第三王朝を建国する事になります。