
ウル第三王朝の直前の時期のウルク王でもあります。
ウトゥヘガルの名には「ウトゥ神は豊穣をもたらす」の意味があります。
ウトゥヘガルはシュメール人であり、グティ人のティリガンを破りメソポタミアの地で「四方世界の王」を名乗りました。
強大な勢力になった様ではありますが、どういうわけかウルにいた将軍であるウルナンムにとって代わられる事になります。
グティ人からシュメールを解放した英雄的な君主にも関わらず、謎が多い人物でもあります。
尚、ウトゥヘガルはウルク第五王朝の唯一の王として記録されています。
ウトゥヘガルがティリガンを破る
ウトゥヘガルの最大の功績と言えば、東方山岳民族出身であるグティ人のティリガンを破った事でしょう。
グティ王朝のティリガンをウトゥヘガルが破った記録は、ウトゥヘガルの碑文により明らかになっています。
ただし、ウトゥヘガルの碑文は古バビロニア時代の写本であり、原本ではありません。
ウトゥヘガルの碑文が何処まで本当なのかは不明ですが、英雄的な君主だったとも考えられています。
四方世界の王
ウトゥヘガルはラガシュも支配下に組み入れ、ラガシュとウルの国境争いも調停したとあります。
ウトゥヘガルの王号は「ウルク王」の他にも「四方世界の王」の名乗っています。
四方世界の王を名乗る辺りは、ウトゥヘガルの強大さが分かる様でもあります。
ただし、ウル第三王朝の初代であるウルナンムが「シュメールとアッカドの王」を名乗るに留まっており、ウトゥヘガルがアッカド帝国のナラムシンの様な広大な領土を支配したのかは疑問がある状態です。
それでも、ウトゥヘガルは帝国的統治制度を志し、ウルクの官僚を各地に派遣したと見られています。
ウルナンムもウトゥヘガルが派遣した官僚(将軍)の一人だったのではないかと考えられています。
ウトゥヘガルはシュメール王朝表によれば、七年六カ月の統治期間だったと伝えれています。
経緯は不明ですが、ウトゥヘガルの後任がウルにいたウルナンムとなり、ウル第三王朝を建国しました。
ウトゥヘガルの最後やどの様にして、ウルナンムに取って代わられたのかは不明です。