
| 名前 | ペリシテ人 |
| 地域 | レヴァント地域南部など |
| コメント | 海の民と関連性を指摘される事が多い。 |
ペリシテ人はシナイ半島やレヴァント地方の南部にいた事が分かっており、旧約聖書にも登場する民族です。
紀元前1200年のカタストロフでは、海の民が暴れまわったとされていますが、海の民の一部がペリシテ人だったとも考えられています。
海の民を構成する民族の一つであるペレセトが、ペリシテ人になったとする説もあります。
ペリシテ人は旧約聖書では敵役として描かれ、ゴリアテがダビデに敗れた話が掲載されています。
イスラエル王国に敗れたペリシテ人は存在感を失くしていき、アッシリアには属国化され、最終的には新バビロニアに滅ぼされました。
ペリシテ人に関しては、謎が多く民族構成においても分からない事が多い状態です。
ペリシテ人の歴史
ペリシテ人と海の民
詳細は後述しますが、ペリシテ人は海の民が前身だったとする説が強くある状態です。
紀元前1180年頃にエジプト第20王朝のラムセス3世は、海の民と戦い勝利しました。
海の民の中のペレセトやチェケルは、パレスティナ南部の海岸地方に植民されたとも考えられています。
因みに、パレスティナの地名は、ペレシテ人に由来します。
ペレシテ人は現地人との同化もあり、北に向かって都市国家を建設し勢力を伸ばしました。
ペリシテ人とイスラエル人
ペリシテ人と敵対関係にあったのが、イスラエル人です。
ペリシテ人とイスラエル王国は対立しました。
旧約聖書にはペリシテ人とイスラエル王国の戦いが記録されており、ペリシテの巨漢戦士であるゴリアテがイスラエル王国のダビデに敗れました。
イスラエル王国はペリシテ人の勢力に勝利した事で、ダビデ王やソロモン王の時代に繁栄しますが、ペリシテ人は存在感を失くしていきます。
ペリシテ人の滅亡
ペリシテ人は高い冶金技術を持ち、一時はパレスティナの金属製品を独占していました。
しかし、紀元前8世紀末頃になると、アッシリアの勢力がオリエント地域を席巻する事になります。
ペリシテ人はアッシリアにより属州化されますが、アッシリアはオリエントの大部分を統一した後に、短期間で滅亡しました。
紀元前6世紀初めにメソポタミアでは新バビロニアの勢力が盛んになりますが、こうした中でペリシテ人は滅んだとされています。
ペリシテ人の定説
ペリシテ人は旧約聖書に登場しますが、旧約聖書ではイスラエル人の対抗勢力として記録しました。
旧約聖書では敵役であり、やられ役にもなっています。
ペリシテ人は海の民の一派だともされており、古代オリエント前史には、次の記述が存在します。
※古代オリエント全史(中公新書)
ペリシテ人はセム語族ではなく、前12世紀初めにエーゲ海方面から海を渡って来た「海の民」の一集団である。
上記の記述から、古代オリエント全史では、ペリシテ人が海の民の一派だと考えている事が分かるはずです。
一般的には海の民はエジプト新王国との戦いで敗れた後に、シナイ半島やレヴァント地方の南部に行きペリシテ人になったとされています。
ペリシテ人とペレセト
海の民はエジプト新王国の記録で、9つの民族の名が挙がっている状態です。
海の民の中に「ペレセト」なる民族がおり、名前が似ている事からペリシテ人とペレセトが同一視されています。
エーゲ文明が崩壊した時にペレセトがエジプト方面にやってきて、エジプト軍に撃退されシナイ半島やレヴァント地方の南部に行き、ペリシテ人と呼ばれる様になったとするのが一般的です。
ペレセトはエジプト新王国に撃退されたのであり、当然ながら難民となりシナイ半島やレヴァント地方の南部に住み着いた人はいた事でしょう。
当然ながら海の民を構成する他民族もエジプト軍に敗れて難民になり、シナイ半島なりレヴァント地方の南部に住み着いた事は確実だと考えられます。
これらを考慮すれば、ペリシテ人がいたとされるフィリスティア地域に、ペレセトや海の民が少なからずいたのではないでしょうか。
ただし、海の民に属さない現地人もいた事でしょう。
海の民と現地人の混血も進みペリシテ人を、構成する様になったとも言われています。
ペリシテ人と名前
ペリシテ人の中には巨漢の戦士であるゴリアテやガトの王のアキシュなど、名前がはっきりとしている者が存在しています。
ゴリアテに関しては旧約聖書のサムエル記に名前があり、ダビデと戦い敗れた事でも有名です。
ゴリアテの装備の描写がサムエル記にあり、ミケーネ文明の戦士のスタイルに近いとも考えられており、ゴリアテがミケーネ戦士だったとする説があります。
ただし、反論もあり事実かどうかは不明です。
アキシュもサムエル記に名前が記録されており、ダビデが亡命した時のペリシテ人のガト王として登場しました。
アキシュの名に注目し、アカイアやギリシアと関係しているのではないかとする説もあります。
ペレシテ人の支配者を指す言葉として「セレン」というものがあります。
セレンという言葉がギリシアやアナトリアの、由来ではないかとも考えられている状態です。
ペリシテ人の文字資料が僅かながらにあり、線文字Bとの関係も指摘されていますが、問題点も多いとされています。
ペリシテ土器
紀元前12世紀ごろになると、フィリスティア地域でミケーネ土器と似た土器が作られています。
ペリシテ土器とも呼ばれていますが、ミケーネ地方との関係を指摘されており、海の民=ペリシテ人とする説に繋がっています。
ただし、ペリシテ土器の一部しか、ミケーネ土器に似ていない問題があり、一概にはペリシテ人が海の民だったとは言えない現状があります。
尚、ミケーネ土器はキプロス島でも大量生産される様になっており、東地中海で主に流通していたのは、キプロス島で作られたものともされている状態です。
ペリシテ土器とミケーネ文明の関係を安易に結びつける事は現在では出来ないと言ってもよいでしょう。
アシュドダ土偶とミケーネ土偶も似ている部分があり、関係性を指摘されています。
しかし、アシュドダ土偶にはキプロス島の要素も入っており、一概にペリシテ人と結びつける事は出来ないとする見解もあります。
他にも、線刻のある牛の肩甲骨や獅子頭形杯もエーゲ海由来とされる事もありますが、詳細は分からない状態です。
錘を使った垂直織機もギリシアとペリシテ人の共通点だと指摘されていますが、この辺りも他地域でも使われており、真実は分からないとしか言いようがありません。
ペリシテ人とパリスティン
レヴァント地域の最北部にテル・タイナト遺跡が存在します。
この時に国家が存在しており「パリスティン」だったともされています。
テル・タイナト遺跡にもミケーネ土器と類似する土器が、在地生産されている事が分かっています。
パリスティンという名前がペリシテと近い事もあり、テル・タイナト遺跡や近辺の遺跡群にはペリシテ人の国家があったともされているわけです。
海の民はシナイ半島やレヴァント地方の南部に定住しただけではなく、北部にも定住したのではないかとする説にもなっています。
ただし、ペリシテ人とは何の関係もないとする意見も存在しており、専門家の間でも見解は分かれています。
ペリシテ人と豚肉
ペリシテ人と豚肉の消費量を結び付ける説が存在しています。
紀元前1200年よりも前の後期青銅器時代では、レヴァント地方の南部では豚肉が食べられる事は殆どありませんでした。
しかし、鉄器時代になるとフィリスティア地方で豚肉を食べる量が明らかに増加した事が分かっています。
後期青銅器時代と鉄器時代では食文化が代わっており、鉄器時代に新たなる民族がやって来たのではないかとも考えられています。
当然ながら、豚肉を食べる新たな民族は、ペリシテ人だったともされているわけです。
他にも、鉄器時代になると新たな植物が見られる様になっており、新たなる民族の襲来とする説の後押しとなっています。
ただし、時代が進むとイスラエルでも豚肉の消費量が増加しており、食文化と民族移動を結び付ける事は出来ないとする見解もあります。
日本であっても江戸時代と現代では、食文化は異なっており、一概に他民族が乗り込んで来たとは言えないでしょう。
当然ながら、食物の種も移動が可能であり、他地域から交流で持ち込まれた可能性も否定出来ません。
ペリシテ人とDNA分析
ペリシテ人のルーツをDNA分析を行い検証する方法も試みられています。
歯のストロンチウムを分析する方法になっていますが、DNA分析の結果としてヨーロッパやエーゲ海の方からやってきた者がいた事が分かりました。
ただし、サンプル数が少ないなどの問題もあり、DNA分析で全てを解析する事は出来ていない状態です。
ペリシテ人の正体
ペリシテ人は単一民族で形成されていたわけではなく、様々な民族によりペリシテ人およびペリシテ文化が形成されたとする説もあります。
それと同時に、別説としてペリシテ地方にいた現地の人々が様々な文化を取り入れた結果として、ペリシテ文化が形成されたとする説もある状態です。
さらに中間とする説もあり、他地域からやってきた者もいたが、現地人もいたとする説もあります。
どの説が正しいのかの結論は出ていません。
ただし、旧約聖書では、これらの人々を纏めてペリシテ人と呼んだ可能性もあります。
旧約聖書が書かれたのは紀元前7世紀頃ともされており、ペリシテ人がイスラエル王国と戦ったのとは、何百年もの時間差がある状態です。
これらの事から、旧約聖書でもペリシテ人の事を正確に分かっていなかったのではないか?とも考えられるています。
ペリシテ人に関しては、難題が山積みになっていると言えるでしょう。
※この記事は小林登志子先生の「古代オリエント全史」有村元春先生の「「海の民」の謎に迫る ~最新の研究成果から探る『海の民』の実像~」をベースに作成しました。