
| 名前 | 摩笄山(まけいざん) |
| コメント | 趙襄子の姉の悲劇から呼ばれる様になった。 |
摩笄山は趙襄子の姉が夫の代王が殺害された事で自害し、呼ばれる事になりました。
趙襄子は即位すると、呉が越に苦しめられていると知り慰問の使者を派遣するなどしていますが、それと同時に代王には夏屋山に招待したわけです。
代王は夏屋山の酒宴会場に出かけますが、酒宴の最中に料理人の雒により殺害されました。
趙襄子は代王が亡くなった事を確認すると、代に派兵し一気に制圧しています。
代は趙の一部になりました。
しかし、趙襄子の姉は代に嫁いでいましたが、夫の死を悲しみ自害する事になります。
自害した姉に因んで呼ばれる事になったのが、摩笄山です。
摩笄山の話を見ると、趙襄子の姉もまた烈女だと言えるでしょう。
趙襄子の姉も列女伝に収録されてもおかしくない様な人物ですが、残念ながら列女伝には収録されませんでした。
夏屋山の悲劇
趙襄子の姉は代王の元に嫁いでいました。
この姉が摩笄山の話の主人公となります。
史記の記述を見ると、趙鞅の時代に既に姉は代に嫁いでいたのでしょう。
趙襄子は趙の当主になると、趙鞅の喪が終わらないうちに、北方の夏屋山に行き代王を宴に招待しました。
代王としては、趙鞅から趙襄子に代替わりし、友好を深める為に宴に誘ってくれたんだと思ったのでしょう。
趙襄子の招きに応じ、代王は夏屋山に向かいました。
酒宴が始まると趙襄子は料理人の雒に命じ、柄杓で代王を討ち殺してしまったわけです。
さらに、趙襄子は従者も皆殺しにしており、楽しいはずの宴が一気に殺伐とした世界に代わってしまいまいた。
趙襄子は兵を一気に代国に進撃させ、滅ぼしてしまったわけです。
代の国は呆気なく滅亡しました。
代王がいなくなってしまった事で、組織的な抵抗をする事が出来ず、趙に蹂躙されてしまったのでしょう。
摩笄山の誕生
趙襄子の姉は、弟が主人の代王を殺害してしまうとは思ってもいませんでした。
姉は代王の死を聞くと泣いて天に向かって叫んだとあり、代王の死を本気で悲しんだ事は明らかでしょう。
それと同時に、代王と姉は仲睦まじくやっていたとみる事が出来ます。
姉は代王の死に耐えきれず、笄(こうがい)を磨ぎ自害しました。
代の人々は趙襄子の姉の死を憐れみ、その場所を摩笄山と名付けたと言います。
趙襄子の姉の悲劇が摩笄山の話に繋がったと言えます。
尚、代を制圧した趙襄子は兄の伯魯の子の趙周(代の成君)を代に封じました。