
| 名前 | エジプト第一王朝 |
| 時代 | 紀元前3100年頃?ー紀元前2890年頃? |
| 初代 | ナルメル |
| コメント | エジプト文明の最初の王朝で世界で最初の統一王朝 |
エジプト第一王朝は、世界で最初の統一王朝と呼ばれて、エジプト初期王朝時代の初めとなります。
当然ながら、エジプト文明の中でも最古の王朝となります。
エジプト第一王朝の初代ファラオはマネトの記録では、メネスになっていますが、考古学的にはナルメルとなっています。
ナルメルはナイル川上流の上エジプトにおり、下エジプトの傘下に収め、エジプト第一王朝が誕生しました。
マネトのいう初代メネスに関しては、2代目のアハ王の事などの説もありはっきりとしません。
エジプト第一王朝はデン王の時代に全盛期を迎えますが、カア王の時代に滅亡し、エジプト第二王朝に代わる事になります。
エジプト第二王朝の創業者は考古学的には、ヘテプセケムイという事になっています。
第一王朝の成立
上エジプトにいたナルメル王は下エジプトも勢力下におくべく動く事になります。
ナルメル王は、エジプトを統一する為の手を打っていきます。
ナルメル王はエジプトの第三の勢力であるヒエラコンポリスという都市を懐柔するために、ホルス神を祀ったとされています。
ただし、ホルス神を祀ったのはヒエラコンポリスを征服した後であったとも考えられています。
ナルメル王は、この様にして上エジプトで勢力を蓄えて、最終的にはナイルデルタの下エジプトも勢力下に置き、エジプト第一王朝を建国しました。
これは世界最初の統一王朝であると言われています。
メソポタミア文明では都市国家でしたが、エジプト文明の方が先に統一王朝が出来ました。
ナルメル王による武力統一はあったのか
ナルメル王がどのようにしてエジプトを統一したのかは明確ではありません。
しかし、ナルメル・パレットに描かれた彼の姿からは強い攻撃性が読み取れ、反抗する勢力に対しては容赦なく武力を行使したと考えられます。
ナルメル王は、民からの揺るぎない忠誠心を求めていました。
また、出土品などから、ナルメル王がエジプト統一後にリビアを打ち破った可能性も示唆されています。
ナルメル王は戦いだけではなく、交易も行っていたとも考えられています。
ナルメル王時代のエジプト製の土器がパレスチナ南部から発見されている事から、西アジアの地域とも関係があったと分かります。
ただし、出土品にはナルメル王がアジア人らしき人々を、畏怖させている場面が描かれているものもありました。
こうしたことを考えると、ナルメル王がかなり好戦的な王だったということや、彼の周辺国への影響力の強さが実感できます。
メンフィスの建設
エジプト第一王朝のナルメルの次の王は、アハだとされています。
アハ王は、メネスやミンなどと同一人物であると言われています。
エジプト第一王朝の時代は古すぎてしまい、考古学的な系譜も含めて分からない事が多いです。
先にも述べた様に、アハ王とメネス王は同一人物だとされていますが、メネス王の偉業と言えば、古代エジプトの重要都市であるメンフィスを、建設した事でしょう。
異説はありますが、ヘロドトスはメネス王がメンフィスを建設したと記録しました。
また、紀元前3世紀の歴史家であり神官のマネトによれば、メネス王は在位62年でカバにさらわれた事になっています。
カバと言えば温厚な動物をイメージする方も多いと思いますが、実際にはライオンよりも戦闘力が高いと言われています。
メネス王がどういった状況でカバに連れ去れたのかは不明ですが、パレルモ石に後に登場するデン王がカバ狩りを行った記録があることから、古代エジプトではカバ狩りを行っていたとされています。
そのため、メネス王はカバ狩りの最中に亡くなったと考えられます。
または、どこかの部族との戦いで敗れて、連れされた事を揶揄しているのかもしれません。
この辺りは不明ですが、エジプト第一王朝の二代目のメネス王は、日本風に言えば畳の上で死ねなかったと言えそうです。
エジプト第一王朝の全盛期
アハ王が亡くなるとエジプト第一王朝はジェル王、ジェト王、デン王が王位継承しました。
ジェル王、ジェト王、デン王に関しては、分かっている事が殆どありません。
日本で言えば、初代の神武天皇の業績は伝わっていても、欠史八代の業績については分からない事が多いのに似ています。
こうした中で幼少のデン王が即位し、母親のメルネイトが摂政として政治を行ったと考えられています。
メルネイトとデン王は上手くやっていた様であり、メルネイトが亡くなるとデン王は壮大な陵墓を築きました。
エジプト第一王朝はデン王の時代は「改革の時代」でもあり、様々な地域を調査した事が分かっています。
デン王の時代がエジプト第一王朝の全盛期と言えるでしょう。
第一王朝末期の混乱と王朝交代
諸説はあるものの、エジプト第一王朝はデン王が亡くなると、アネジブ王が即位したと言われています。
アネジブ王が即位すると、南北の王家で争いが起きたとされています。
アネジブ王が亡くなると、セメルケト王が即位するのですが、セメルケト王の時代には、多くの災害が起こりました。
彼は王位の簒奪者であるとされ、その行いの悪さのために多くの自然災害が発生したとされています。
エジプト第一王朝は、その後にカア王の時代になるのですが、記録がほとんど残っておらず、どの様な王であったのかもよく分かっていません。
カア王の時代になると殉死が減っていったとされています。
カアがエジプト第一王朝の最後の王であると言われています。
エジプト第一王朝と第二王朝については、どのようにして王朝交代が行われたのか分かっていません。
マネトの記録によれば、エジプト第二王朝の王は、エジプト第一王朝と同じくアドビス近郊のティスの出身となっています。
それらを考慮すると、同じ王族内で争いが起き、勝ち残ったエジプト第二王朝の勢力が、エジプト王になった可能性もあります。
エジプト第一王朝の王
マネトの記録
メネスーアトティスーケンケネスーウエネフェスーウサファイスーミエビスーセメンプセスービエネケス
考古学的な史料
ナルメルーホル・アハ(メニ)ージェルージェトーデン (ウディム)ーアネジイブーセメルケトーカア