
| 名前 | エジプト第二王朝 |
| 時代 | 紀元前2890年頃?ー紀元前2868年頃 |
| コメント | 最後の王カセケムイの時代に繁栄した |
エジプト第二王朝はエジプト第一王朝が終焉した事で始まりました。
ただし、エジプト第二王朝が誕生するうえで、どの様な出来事があったのかは謎が多いです。
マネトによれば、エジプト第二王朝は9人の王によって302年間統治された事になっています。
しかしながら、現在では6人の王による200年弱の統治であるという説が最も有力です。
考古学的にはエジプト第二王朝は6人の王が確認されています。
エジプト第二王朝は末期のカセケムイの時代に繁栄しますが、なぜか滅亡しエジプト第三王朝へと移行しました。
尚、エジプト初期王朝時代はエジプト第一王朝とエジプト第二王朝を指します。
謎多きエジプト第二王朝
エジプト第二王朝前半について確実に分かっている出来事としては、「アピスの聖牛の走行」や「シェムラーの町への攻撃」、さらには「北の家」に関わる戦役などが挙げられます。
これらの出来事は記録として名前こそ残っているものの、具体的な経緯や背景については史料が極めて乏しく、詳細はほとんど分かっていません。
エジプト第一王朝は最初の王となったナルメルやメネスなどはインパクトがありましたが、エジプト第二王朝は全体的に分かっている事も少なく影が薄い存在となっています。
エジプト第二王朝はセムケイブの時代にセト神とホルス神による、宗教対立が起きた事になっています。
ナイル川上流の上エジプトとナイルデルタの下エジプトの対立も目立ち、セムケイブの治世は混乱の時代でもありました。
エジプト第二王朝の全盛期と滅亡
ケムセイブの時代は混乱しましたが、最後の王であるカセケムイの時代になると他国を服属させるなど、エジプト第二王朝は盛り返す事になります。
カセケムイの時代にエジプト第二王朝は全盛期を迎えたと言えるでしょう。
しかしながら、エジプト第二王朝はカセケムイの代で終焉を迎えることになります。
ここまで国力を盛り返したにも関わらず、一体なぜカセケムイの代で滅亡してしまったのでしょうか。
一つの説が、サナクトという人物がカセケムイの娘と結婚し、エジプト王になろうと目論んだことがきっかけでエジプト第三王朝が始まった、というものです。
ただし、この説が事実であるかどうかは分かっていません。
エジプト第二王朝の王族・有力者がカセケムイの娘と結婚したという事なのかもしれません。
カセケムイの男系の血筋が途絶えたと考え、エジプト第二王朝から第三王朝へと移行した可能性もあるのではないでしょうか。
日本の皇室は神武天皇から男系で続いているとされており、万世一系とされていますが、古代エジプトでは男系が途絶えた時点で、王朝が移行する場合があります。
それを考えれば、日本の皇室も男系が途絶えて女系に場合に、日本第二王朝のなってしまうのかも知れません。
尚、エジプト第三王朝からピラミッドの時代に入り、大土木工事の時代に入りますが、第二王朝で蓄えられた富により、エジプトは潤いピラミッド建設の時代に入ったとも考えられています。
エジプト第二王朝の王
マネトの記録
ボエトスーカイエコスーピノトリスートラスーセテネスーカイレスーネフェルケレスーセソクリスーケネレス
考古学的な資料
ヘテプセケムイーラネブーニネチェルーセネドーセムケイブー(セト・ペルイブセン?)ーカセケムイ(カムケイ?)