
| 名前 | シャルマネセル1世 |
| 生没年 | 生年不明ー紀元前1245年頃 |
| 国 | アッシリア |
| 一族 | 父:アダド・ニラリ1世 子:トゥクルティ・ニヌルタ1世 |
| コメント | アッシリアの領土を拡大させた英主 |
シャルマネセル1世は中アッシリア時代のアッシリア王となります。
名前の意味は「シュルマーヌ神は第一人者である」です。
紀元前1264年頃、33年間にわたりアッシリアの主権線を劇的に拡大させたアダド・ニラリ1世が崩御すると、その息子のシャルマネセル1世が王位を継承しました。
紀元前13世紀のアッシリアは、このシャルマネセル1世と、次代のトゥクルティ・ニヌルタ1世という、ともに治世が30年を超える2代の英主の統治によって、空前絶後の広大な領域国家(帝国)へと発展を遂げることになります。
尚、シャルマネセル1世の時代に、神殿修復をしたなどの話も残っています。
北方ウラルトゥ遠征と長期的宿敵関係の地政学
シャルマネセル1世の即位直後、北方の山岳地帯に存在した「ウラルトゥ(諸族の緩やかな部族連合)」が、アッシリアの主権に対して一斉に反旗を翻しました。
この遠征はのちの古代オリエント史を大きく揺るがす重大な地政学的対立の起源です。
シャルマネセル1世は即座に出陣し、ウラルトゥの51の都市を徹底的に破壊・略奪し、王権の圧倒的な見せしめとして過酷な重税を課しました。
このアッシリアの苛烈な軍事執行は、それまでバラバラだった北方の部族たちに「アッシリアという巨大な共通の脅威」を強く植え付ける結果となります。
これが皮肉にも部族間の強固な団結を促し、のちにアッシリアを数百年にわたって苦しめ続ける最強の宿敵「ウラルトゥ王国」の誕生(国家の形成)を決定づける構造的背景となったのです。
ハニガルバトの完全征服と心理的統治としての集団失明
シャルマネセル1世の最大の歴史的功績は、西方に割拠していたフルリ人の国家「ハニガルバト」の息の根を完全に止めたことにあります。
ハニガルバトの王シャットゥアラ2世は、ヒッタイトの軍事支援を背景にアッシリアの交易路を遮断する大規模な反乱を起こしましたが、
シャルマネセル1世はこれを包囲・大破しました。
王碑文には、180の都市を完全に破壊し、「生存した敵兵14,400人の目をすべて潰して(失明させて)捕虜として連れ帰った」という、凄惨な戦果が記録されています。
この失明処置は、単なる残虐行為(サディズム)ではありません。
広大な征服地に対して少ない常備軍で睨みを利かせ、「アッシリアに逆らえばどうなるか」を周辺諸国に一瞬で理解させるための、極めて冷徹な「心理的・軍事的な統治」でした。
彼はハニガルバトの地を完全に支配下におき、正式に行政州として地方長官の直接統治下に組み込みました。