
| 名前 | ペトラ |
| 国 | ヨルダン |
| コメント | ナバテア王国の首都として繁栄した |
ペトラ遺跡は死海から南に80キロほどの地点にあるナバテア王国の遺跡です。
ナバテア人による隊商都市として繁栄し、旧約聖書の「セラ」はペトラを指すのではないかとする説もあります。
ナバテア王国は多くの富を得て一時は強勢でしたが、交易ルートの変更もあり、衰退しました。
ローマ帝国に併呑されたりもしましたが、最終的には放棄されています。
19世紀の初頭にスイス人探検家により発見されると、世界中で話題になっています。
ペトラ遺跡の薔薇色の空間は多くの方々を魅了しました。
ペトラの宝物殿と呼ばれる建築物は有名ですが、何の為に作ったのかは分かっていません。
専門家の間では葬儀に使われたのではないかと考える人もいます。
薔薇色の都
ジョン・ウィリアム・バーゴンは、ペトラ遺跡について次の様に述べています。
※失われた古代文明: 歴史に消えた40の民族(180頁)より
その岩からまるで魔法のように生え出でている。
永遠に、静謐に、美しく、ただひとり!
かつてアテナ女神が荘厳な儀式をあげた、
古のドーリア式神殿の純白とは違い
・・・
2000年前にも古いと言われた、
悲哀に沈むひたいに重なる青春の色合い
これにまさる驚異が、東方をおいてどこに見つけられようか
時の半ばほども古き薔薇色の都よ
ペトラの壮大さと赤みを帯びた神殿が伝わってくるようでもあります。
ペトラの歴史
ペトラ遺跡の近辺にナバテア人がやって来たのは、紀元前550年頃だったのではないかと考えられています。
この少し前にアッシリアが「ナバトゥ」なるアラビア人の部族の反乱を鎮圧した話があり、ナバトゥがペトラ遺跡に逃げ込みナバテア人と呼ばれる様になったとする説もあります。
他にも、紀元前4世紀末に遊牧民で隊商交易を行っていたナバテア人が、稼いだ財産の隠し場所に使ったとも考えられている状態です。
本来は隠れ家てきな場所だったペトラですが、紀元前2世紀以降はナバテア王国の首都となり宮殿も建設されました。
ペトラの郊外では果樹や野菜の栽培も行われており、王宮では宮廷儀礼もあった事が分かっています。
ナバテア人は治水技術に長けており、少量の水を上手く利用する事で、住みやすい環境を作り出しました。
ナバテア王国の全盛期はアレタス4世の時代であり、ペトラは国際商業都市として潤う事になります。
さらに、地中海にいたるネゲブ砂漠やダマスクスまで勢力範囲に加えるなど、シリアに大帝国を築きました。
ただし、ナバテア王国の西にはローマ帝国があり、最終的にはローマ帝国に併合され、アラビア属州に編入されています。
ペトラのシック
ペトラの市街に入る為には、シックと呼ばれる峡谷を抜ける必要があります。
当然ながらシックは岩でで出来ている峡谷です。
シックは狭い道であり、敵から街を守るのにも役立ちました。
城門の役目も果たしていたと言えるでしょう。
ただし、豪雨が降ると渓谷に一気に流れ出る様になっており、大惨事になったりする事もあります。
2018年にペトラ遺跡で土石流が発生し、大規模な鉄砲水が発生しました。
この時に日本人観光客も含めて観光客は全員無事でしたが、地元民が亡くなったり行方不明の者が出ました。
現在のペトラ遺跡
ペトラ遺跡は外敵の攻撃を受けて滅んだわけではなく、交易路の変更などもあり放棄されており、昔と殆ど変わらない姿で発見されました。
1812年にスイス人探検家のヨハン・ルートヴィヒ・ブルックハルトにより発見されています。
薔薇色の都として、映画「インディージョーンズ最後の聖戦」でも取り上げられています。
毎年、多くの観光客が訪れており、人々を楽しませています。
岩に出来た不思議な空間は多くの人々を魅了しているのでしょう。