大喜法忻は今川基氏の四男であり、名僧としての道を歩む事になります。
仏満禅師と呼ばれる事も多いです。
兄に今川頼国、範満、頼周がおり、弟に範国がいたと考えられています。
ただし、大喜法忻は五男であり、四男が今川範国とする資料も残っています。
兄弟たちが武士としての道を歩んだのとは対照的です。
大喜法忻の三人の兄は中先代の乱で戦死したと考えられており、名僧としての道を歩んだ大喜法忻は生きながらえたとも言えるでしょう。
弟の今川範国は遠江や駿河の守護として今川家を興隆させますが、大喜法忻は宗教の面から今川氏を支えました。
大喜法忻は駿河では10カ所を超える寺の開創となっており、名僧としての資質を伺う事が出来ます。
尚、大喜法忻の生没年に関してははっきりとしない部分もあります。
神奈川県南足柄市の極楽寺には仏満禅師の木造が置かれており、穏やかな表情をみる事が出来ます。
今川基氏の四男
大喜法忻は一般的には今川基氏の四男という事になっています。
ただし、鎌倉円覚寺の塔頭続灯庵に53歳で没したとする記録があり、円覚寺の記録を中心に考えれば今川範国の弟という事になり五男となるはずです。
しかし、大喜法忻の師である太平妙準と死別したのが、11歳の頃となってしまい、年代的に考えると太平妙準と死別したのは大喜法忻が25歳頃だったのではないかとされています。
それらを考慮すると大喜法忻は今川基氏の四男で、弟に今川範国がいた方がしっくりとくるのではないでしょうか。
名僧・大喜法忻
大喜法忻の兄弟には頼国、範満、頼周、範国らがいますが、いずれも武士になったと考えられています。
今川頼国、範満、頼周らは勇猛さが讎になったのか、中先代の乱で命を落としました。
それに対し、大喜法忻は名僧としての道を歩んでおり、明らかに兄弟たちとは違う道に進んだと言えるでしょう。
下記の水月余影集にある大喜法忻が開創した寺となります。
国名 | 寺院 | ||
駿河 | 承元寺 | 瑞雲院 | 光明寺 |
東海寺 | 永寿寺 | 崇寿寺 | |
高源寺 | 善応寺 | 真珠院 | |
下野 | 善徳寺 | 光明寺 | 浄因寺 |
相模 | 続灯庵 | 極楽寺 |
(戎光祥出版・駿河今川氏十代より抜粋)
開創した寺が駿河に集中しているのは、出身地だからではないかと考えられています。
尚、大喜法忻は3人の兄よりも長生きし67歳くらいで亡くなったとされています。
大喜法忻は当時としては長生きした方ですが、弟の今川範国は90歳まで生きたとする説もあり、弟の範国はさらに長く生きたと言えそうです。
大喜法忻は他の兄弟とは異なり、名僧として名を残した事は間違いないでしょう。