
| 名前 | 魯の恵公 |
| 姓・諱 | 姫弗湟 |
| 生年 | 不明 |
| 在位 | 紀元前768年ー紀元前723年 |
| 一族 | 父:孝公 弟:無駭 子:隠公、桓公 |
| コメント | 息姑に嫁ぐはずだった仲子を奪った。 |
魯の恵公は春秋時代の魯の君主です。
魯の恵公には息姑(魯の隠公)という子がおり、息姑の為に妻を宋から迎えようとしました。
しかし、仲子が美貌であった事から、自分の妻とし姫軌が誕生する事になります。
子に嫁ぐはずだった仲子を奪った事で、宋との間が険悪となり黄の戦いまで起きてしまったと考えられています。
魯の恵公が亡くなった時に、姫軌が幼少であった事から、息姑(魯の隠公)が後継者となりました。
魯の恵公と仲子
魯の恵公の最初の夫人は孟子でしたが、子が誕生せずに亡くなりました。
孟子が亡くなった事で、声子が継室となり、息姑(魯の隠公)が生まれる事になります。
宋の武公には仲子という娘がおり、生まれた時の掌に「魯」の文字があったとされており「魯に嫁ぐ事になるのではないか」と言われてきました。
宋の武公の子と言う事は、宋の穆公と仲子は兄妹の関係になるのでしょう。
成長した仲子は魯の息姑に嫁ぐ事になりますが、仲子の姿を見た魯の恵公は美人であった事から、自分の妻にしてしまったわけです。
宋では息姑に仲子を嫁がせるはずが、相手が年配の恵公に代わってしまった事で、気分を害したのではないでしょうか。
仲子は魯の恵公に嫁ぐ事になり、姫軌(魯の桓公)を生む事になります。
魯の恵公の正室は仲子となり、声子は側室となりました。
尚、魯の恵公の後継者と目されている姫軌が誕生したのは、魯の恵公の晩年となります。
黄の戦い
春秋左氏伝によると、魯の恵公の末年に、宋と黄で戦ったとあります。
魯の恵公の末年という事は、紀元前723年に魯と宋の間で、黄の戦いが勃発した事になるのでしょう。
なぜ戦ったのかは記録されていませんが、息姑に嫁がせるはずだった仲子を魯の恵公が奪い取ってしまった事で、宋と魯の関係が悪化し戦争になったとみる事も出来るはずです。
魯は恵公に時代に宋と対立しましたが、魯の隠公が即位すると宿の盟が結ばれ関係は修復しました。
魯の恵公と晋
史記の魯周公世家に記載された魯の恵公の時代の出来事を羅列しておきます。
・45年、晋の国人がそのまた主君の孝侯を誅した。
これが魯周公世家の魯の恵公の時代に起きた出来事となります。
内乱状態になっていた晋の事が書かれているという事です。
魯の恵公の最後
魯の恵公はその46年に亡くなったとあり、紀元前723年に世を去ったのでしょう。
太子は姫軌(魯の桓公)でしたが、年少であった事から、息姑(魯の隠公)が立ちました。
ただし、魯の隠公はあくまでも摂政であり、即位とは言わなかったと史記にあります。
尚、魯の恵公が亡くなった翌年から、春秋が始まっており、記録が豊富になって行きます。
| 先代:孝公 | 恵公 | 次代:隠公 |