故事成語

人間万事塞翁が馬の由来や意味を徹底解説

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宮下悠史

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名前人間万事塞翁が馬
収録淮南子
編集者劉安

人間万事塞翁が馬は淮南子に書かれているエピソードの一つです。

略して「塞翁が馬」と呼ばれる事も多いです。

人間万事塞翁の馬の「人間」は「にんげん」と読んだり「じんかん」と呼んだりし人それぞれだと言えます。

ここで言う人間の意味は普通に「にんげん」を指す場合もあれば「人生」「世の中」「世間」などの意味を持たせる場合もあります。

人間万事塞翁が馬の「万事」は「全ての事がら」という意味であり、「塞」は中国の城壁に囲まれた街(要塞)を指します。

「翁」は老人を指し「塞翁」で城壁の街に住む老人という事になります。

人間万事塞翁が馬を直訳すれば「世の中の全ての事は塞翁の馬の様だ」という意味になるでしょう。

しかし、これだけでは意味が分からず、少なくとも人間万事塞翁が馬のあらすじを知る必要があるはずです。

今回は人間万事塞翁が馬の内容を解説します。

塞翁の馬の由来

馬が逃げる

辺境の塞に占いが得意な翁が住んでいました。

塞翁は馬を飼っていましたが、馬が突如として胡の地へ逃げ去ってしまいます。

近所に住んでいた者達は、塞翁の馬が脱走した事を知ると落ち込んでいると考え慰めに来ました。

しかし、塞翁は落ち込む様子もなく「心配はいらんよ。この禍が福を呼ぶだろう」と告げます。

村人は不思議がりますが、塞翁は動じる事がありませんでした。

駿馬を連れて帰ってくる

馬が脱走してから数カ月が経過すると、塞翁の馬が胡の駿馬を連れて戻ってきました。

塞翁は馬が脱走したにも関わらず、駿馬を得て2倍以上の財産を得た事になります。

近所の者達は、塞翁の馬が胡の駿馬を連れて帰って来た事を知ると、祝福の為に塞翁の元を訪れます。

しかし、塞翁は全く喜ばす「喜んではおれぬ。この福が禍を呼ぶ事になるであろう」と告げます。

周りの人は意味が分かりませんでしたが、塞翁は駿馬が禍を呼ぶと考えたわけです。

息子が落馬

暫くすると、塞翁の息子が胡の駿馬から落馬し足の骨を折ってしまいました。

近所の者たちは胡の駿馬が呪われた馬だったと考え、塞翁の見舞にきたわけです。

しかし、塞翁は息子が大けがをしても動じる事もなく「心配する事は無い。この禍が福を呼ぶだろう」と告げました。

塞翁は息子の足の怪我は良い事が起きる前兆だと考えていた事になります。

命拾いする

塞翁の息子は足が不自由になりますが、1年後に異民族との間で戦争が勃発しました。

若者たちは弓をとって防戦しますが、軍が大敗したのか10人のうち9人が戦死したと言います。

10人中9人が亡くなるとなれば、かなり酷い負け方をした事になるでしょう。

しかし、塞翁の息子は足を怪我していた事で徴兵されませんでした。

塞翁の息子は不自由な体になったお陰で戦争に行かず親子ともども命が助かった事になります。

これが塞翁の内容となります。

塞翁の馬の意味

人間万事塞翁が馬から学べる事は世の中は「禍」だと思っても「福」に繋がるなど、どうなるのかは予想が出来ないという事です。

塞翁も「禍があればよい事が起きる」と考えていますが、どの様な良い事が起きるのかは分かってはいなかったでしょう。

それらも考慮すれば悪い事が起きても過度に落ち込む必要はなく、良い事が起きても大喜びする必要もないという事になります。

塞翁の馬の話は諸子百家の中では道家の話となり、無用の用などの故事成語と近しい部分が多いです。

人間は必ず失敗する生き物であり、物事がうまくいかない時は、塞翁の馬の話を思い出してみるのもよいかと感じています。

塞翁の馬の話を聞いて思ったこと。

淮南子に掲載されている塞翁の馬の話ですが、エピソードとしては非常に面白いと思いました。

ただし、現実的に考えると馬が脱走し胡の駿馬を連れて帰ってくる事は稀であり、馬が逃げない様に柵を強化するなども大事だと感じています。

他にも、息子が落馬しない様な工夫をするなど改善も必要でしょう。

塞翁の馬が逃げた時に、柵を高くするなどせず放置した場合は、別の馬も逃げていく可能性もあります。

それを考えれば改善する事も大事だと感じたという事です。

塞翁の馬と歴史を考えてみる

塞翁の馬の話を聞いて思い浮かんだのが、漢の劉邦を軍事面で支えた韓信です。

韓信は軍事の天才であり、楚漢戦争で項羽を打ち破るのに大き過ぎる程の功績を挙げています。

楚漢戦争終了後には楚王となっていますが、能力の高さや野心を劉邦に疑われました。

韓信は劉邦によって捕らえられ、狡兎死して走狗煮らるの言葉を残して処刑されています。

歴史を見ると李牧楽毅の様に高すぎる能力を持っていたが故に、王に疑われた話は枚挙にいとまがありません。

因みに、人間万事塞翁が馬が収録されている淮南子の編集者である劉安も王族として生まれましたが、漢の武帝の匈奴との戦いに反対であり睨まれました。

最終的に劉安は反乱に追い込まれ自害しています。

塞翁の馬の逸話で考えれば、劉安は王侯として生まれ幸運でしたが、最後は無念の死を迎えたと言えるでしょう。

淮南子の編集者の劉安自身が塞翁の馬の話から逃れる事が出来なかった様にも感じました。

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