名前 | 裂田の溝 |
読み方 | さくたのうなで |
登場 | 日本書紀 |
コメント | 大岩に雷が落ちたのかは不明 |
裂田の溝は日本書紀に記述があり、神功皇后が治水工事の溝を作り大岩を雷が割ったとされています。
日本書紀を見ると、神功皇后の逸話は現実離れしたものが多く、裂田の溝もその中の一つだと言えるでしょう。
日本書紀の裂田の溝だけを見ると、神話の世界の話の様に聞こえるかも知れませんが、実際には裂田の溝も現存しており、全くのデタラメだとも言えない部分もあります。
裂田の溝は福岡県の那珂川市の安徳台遺跡にあります。
今回は日本書紀にある裂田の溝の話を解説します。
日本書紀の記述
神功皇后は田油津媛を討伐すると、松浦に行き釣りを行い見事な魚が釣れた話しがあります。
神功皇后は新羅遠征を計画し、神を祀り神田を定めたとあります。
この時に那珂川の水を引き神田に注ごうと考え治水工事を行いました。
溝を掘ったり治水工事を施しますが、迹驚岡で大岩が塞がっており、溝を通し水を運ぶ事が出来なくなります。
ここで神功皇后は武内宿禰を呼び寄せ剣に鏡を捧げて祈りました。
神功皇后が祈ると落雷があり、岩が砕け溝を通す事が出来たと言います。
人々は神功皇后が落雷を落した事で、裂田の溝と呼ぶ様になります。
これが日本書紀の裂田の溝に関する記述となります。
現存する裂田の溝
裂田の溝がある安徳台遺跡には弥生時代の数々の遺跡や奈良時代の大建築物、室町時代の館跡などが発見されています。
安徳台遺跡には弥生時代の日本最古の製鉄工房の跡地があり、130軒を超える住居跡など様々な考古学的な発見が成されています。
この安徳台遺跡に裂田の溝があるわけです。
裂田の溝は日本最古の農業用水路として知られ、神功皇后を祭神とする裂田神社もあります。
水路は裂田神社の西を迂回する様に流れています。
水路の溝の一部は花崗岩の堅い岩盤の裂け目を流れている事が分かっています。
この花崗岩の岩盤と日本書紀の水路を塞いでいた大岩が合致するとも言えます。
発掘調査の報告によれば、裂田の溝は裂田神社の付近で水路の両側に未風化の花崗岩の岩盤が露出しています。
未風化の花崗岩はコアストーンとも呼ばれ、堅い岩の塊でもあります。
これを考えると、土木工事を行いコアストーンを砕かない限り那珂川の水を水田に引く事は出来ないはずです。
実際に神功皇后の祈りにより雷が割れたのかは不明ですが、何らかの方法で花崗岩を砕かなければ、治水工事は完成しなかった事になります。
それを考えると、神功皇后の裂田の溝の話は全くのデタラメとも言えないのでしょう。
ただし、雷が落ちて岩が割れたなどは、あくまでも創作だと考えるのが妥当なはずです。