
ウル第三王朝はシュメール人による最後の王朝です。
メソポタミア文明で栄えた王朝の一つでもあります。
ウルナンムが初代となり、建国したのがウル第三王朝となります。
ウル第三王朝では二代目のシュルギの時代に全盛期を迎えており、シュルギは四方世界の王を名乗りました。
しかし、シュルギの死後に後継者問題もあり、アムル人やエラム人の侵攻の激しくなっていく事になります。
ウル第三王朝はイッビ・シンの時代になると、イシュビ・エラが命令を守らずイシン第一王朝を建国しました。
ジリ貧となったウル第三王朝に、東のエラム人が攻撃を仕掛けイッビ・シンが捕虜となりウル第三王朝は滅亡しました。
ウル第三王朝の始まり
ウルクのウトゥヘガルはグティ人を破り、シュメール人たちの解放に成功しました。
この時にウトゥヘガルの将軍として、ウルに駐屯していたのが、ウルナンムであり、ウル第三王朝の建国者となります。
ウトゥヘガルがウルナンムに禅譲したのか、実力者のウルナンムが力によりウル第三王朝を建国したのかは不明です。
しかし、ウルナンムを初代とする五代に渡るウル第三王朝が、建国された事は間違いのでしょう。
ウル第三王朝は100年ほど続く世襲王朝であり、シュメール人による最後の統一王朝になりました。
ウルナンムの治世
ウルナンムの時代で最も注目すべき点は、ウルナンム法典ではないでしょうか。
現時点で最古とされる法典が、ウルナンム法典となります。
同じくメソポタミア文明の王朝として有名なバビロン第一王朝のハンムラビ法典では「やられたらやりかえす」の同害復讐法で有名でした。
しかし、ウル第三王朝のウルナンム法典では、やられてもお金で解決する場合が多かったわけです。
ただし、ウル第三王朝でウルナンム法典が、実施されていたのかは分からい部分が多いと言えます。
尚、ウルナンムは王賛歌やジックラトの修復、街道整備などを行いました。
シュルギの治世
ウル第三王朝の二代目がシュルギです。
シュルギの治世は48年にも及んでおり、ウル第三王朝の半分の治世はシュルギの時代だとみる事も出来ます。
シュルギは自画自賛する王賛歌を30以上も残しました。
王賛歌の中で父はラガルバンダ神、母はニンスン女神と記録しています。
ただし、実際のところはシュルギの父親はウル第三王朝の初代であるウルナンムであり、母親はシアトゥム(もしくはワタルトゥム)です。
シュルギは当時の王としては珍しく、学校に通い粘土板に文字も書く事が出来ました。
ウルナンムに続きシュルギも街道整備を行ったり、常備軍を設けたりするなど、精力的に動いた事が分かっています。
シュルギの時代のウル第三王朝は強く、アッカド帝国のナラムシンと同様に「四方世界の王」を名乗り、自らを神格化しました。
しかし、シュルギの時代に既にウル第三王朝の滅亡の予兆が出ており、アムル人の侵攻が盛んになった時期でもあります。
シュルギはユーフラテス川とチグリス川へと防御の為の城壁を築きました。
この時にシュルギ王は城壁を補修する責任者のプズル・シュルギ将軍に「寝ずに作業せよ」と命令し、追加の作業員を送った話があります。
それでも、アムル人の侵入があった時代でもあっても、シュルギは巨大施設であるプズリシュ・ダガンの神殿を建造するなどしました。
ウル王家の後継者問題
シュルギの死後に息子のアマル・シンが後継者となりました。
しかし、シュ・シンとの間で後継者問題が勃発しています。
シュ・シンはシュルギの息子とも弟ともされています。
ここでアマル・シンの后妃であるアビ・シムティがシュ・シンに味方しました。
これによりアマル・シンの6年にシュ・シンが王を名乗る事態となります。
ウル第三王朝ではアムル人の侵入などに悩まされていたはずですが、こうした時期に後継者争いを行ってしまったわけです。
ウル第三王朝の滅亡
ウル第三王朝の第五代のイッビ・シンの時代になると、東方からはエラム人の侵略があり、西方からはアムル人の脅威に悩まされました。
飢饉も続き穀物価格が60倍に高騰し、ウル第三王朝は苦しむ事になります。
イッビ・シンは将軍のイシュビ・エラに大麦購入を命じますが、イシュビ・エラは渡された銀で購入できる半分しか、送りませんでした。
イシュビ・エラはイシンにイシン第一王朝を建国し、独立する事になります。
こうした中で、イッビ・シンはイラン方面からエラム人の侵攻を受けました。
イッビ・シンはエラム人の捕虜となり、連れ去られウル第三王朝は滅亡しました。
滅亡後に暫くすると「ウル市滅亡哀歌」や「シュメルとウル市滅亡哀歌」が書かれています。
ウル第三王朝の滅亡とシュメール人
シュメール人はウル第三王朝の滅亡により、政治的や民族的な独立を失いました。
ウル第三王朝の終焉は、シュメール人の終焉と見て取る事も出来るはずです。
紀元前2000年紀に突入すると、日常ではアッカド語が使われる様になり、シュメール語を使う者はいなくなっていきました。
それでも、シュメル語で書かれた文学作品は現代にも伝わっており、シュメール人が築いた都市文明は継承されていく事になります。
しかし、ウル第三王朝の崩壊後にシュメール人が再び王朝を立てる事はありませんでした。
尚、ウル第三王朝滅亡後にシュメール人たちは、惑星ニビルに帰還したとする説もありますが、オカルトだと思った方がよいでしょう。