
| 名前 | ウルナンム法典 |
| 別名 | シュメール法典 |
| 成立者 | ウルナンム(ウル第三王朝) |
| コメント | ウルナンム法典は復讐せず |
ウルナンム法典はシュメール人のウル第三王朝において、適用された法律です。
ウル第三王朝の初代であるウルナンムにより制定されました。
別名はシュメール法典であり、現存する世界最古の法典とも呼ばれています。
古代メソポタミアと言えばバビロン第一王朝の、ハンムラビ法典を思い浮かべる人も多いかと思いますが、ウルナンム法典の方が古くに制定されました。
ウルナンム法典はウルナンムの序文から始まり、民法なども述べられています。
同じくメソポタミア文明のハンムラビ法典が「目には目を~」で有名な復讐法ですが、ウルナンム法典では復讐せず銀を支払う罰金があった事も分かっています。
ウルナンム法典では男女関係や離婚などの民放も定められました。
ただし、身分により刑罰が変わって来るのは、ハンムラビ法典と同じです。
ウルナンム法典の序文
ウルナンムはウルナンム法典の序文で「私(ウルナンム)は孤児を裕福な者に引き渡さない。未亡人を強き者に引き渡さない」と書きました。
これは当時の社会情勢を表しており、孤児や未亡人などの社会的弱者を庇護する事が求められたのでしょう。
それと同時にシュメール人の間でも、貧富の格差はかなりあった事が想像出来ます。
ウルナンム法典は復讐しない
メソポタミア文明の法典といえばハンムラビ法典が有名ではないでしょうか。
ハンムラビ法典は「目には目を歯に歯」の同害復讐法が有名です。
メソポタミアの地には同害復讐法が根付いたいたと思われがちですが、ウルナンム法典では復讐しろとは書かれていません。
ウルナンム法典では傷害罪の場合は、銀を支払う事で刑罰としていました。
つまり、ウルナンム法典では賠償金で済ませろと言っているわけです。
ただし、今の日本の様に「法の下に平等」とする考えはなく、身分によって刑罰に差があった事も記録されています。
ハンムラビ法典も身分により、刑罰の重さも変わってくる事が分かっています。
ウルナンム法典の民法
ウルナンム法典と男女関係
ウルナンム法典では、結婚や離婚についても定められています。
意外に思うかも知れませんが、ウルナンム法典においては、自由人と奴隷の結婚も許されていました。
ただし、女性は処女性を重視され、妻には貞操を守る義務も課されられました。
第六条では「自由民が若い男性の処女である妻を、暴力を使って犯した場合は、男性は殺されるべきである」と記述されています。
反対に若い男性の妻が自らの意思により、他の男性と性的な行為をした場合は、女性は殺害され男性は殺されるべきだと記録されています。
現代に比べて、性に関しては厳しい罰則があったとも見る事が出来ます。
他にも、自由民が奴隷身分の処女の妻に暴力で犯しても、銀5ギンの罰金で許されており、身分により刑罰の格差がある事が分かるはずです。
ウルナンム法典と離婚
ウルナンム法典では離婚についても定められており、慰謝料を支払う事が定められています。
自由民の男性が自由民の妻と離婚するのであれば、男性は銀1マナを支払うとあります。
妻が再婚の場合は、初婚の妻の慰謝料の2分の1マナを支払い、内縁の妻の場合は慰謝料がないと定められていました。
再婚の場合は慰謝料が半額になるのが、ウルナンム法典です。
ウルナンム法典では妻に子供が出来ない場合は、重婚も許されていました。
遺産相続
夫婦は同居する事を義務付けられていましたが、財産は別としています。
ウルナンム法典では女性も財産を持つ事が出来、遺産相続においては息子が優先的に相続しました。
子供に娘しかいない場合は、娘の相続も認められています。
当時のシュメール人は夫が亡くなると、息子が相続するのが普通であり、未亡人となった妻は自分の財産で暮らすなり、再婚するなり息子に養って貰うなりしていた様です。
裁判となれば女性も出廷出来た事がわかっています。
ウル第三王朝のシュメール人の男性は妻を養う義務があり、妻が病気になったからと言って離婚する事は許されませんでした。
現代人から見てもモラルが感じられるのが、ウルナンム法典でもあります。