名前 | 姜原(きょうげん) |
別名 | 姜嫄 |
時代 | 三皇五帝 |
一族 | 子:后稷 |
コメント | 巨人の足跡を踏み身籠った女性 |
姜原は周王朝の祖とも言うべき女性であり、三皇五帝時代の人でもあります。
姜原の事は史記に書かれており、巨人の足跡を踏み懐妊した事になっています。
姜原は生まれた子が后稷になるわけですが、不気味に感じたのか后稷を棄ててしまいました。
しかし、后稷には聖人としての兆候があったのか、害する動物すらいなかったわけです。
姜原は后稷に感化されて棄てるのを止めました。
これが姜原であり、后稷の子孫が周王朝を開く事になる為、姜原は周王朝の始まりとも言える女性となります。
巨人の足跡を踏み妊娠
姜原は有邰氏の娘であり、五帝の帝嚳の元妃だったとあります。
有邰氏は三皇にも数えられる炎帝神農の子孫だともされているわけです。
姜原は野に行くと巨人の足跡を見つけました。
姜原は愉快な気持ちとなり、足跡を踏むと突如として身籠ったと言います。
姜原が身籠って出産したのが、后稷であり、史記や列女伝の話を見る限りでは、后稷の父親が誰なのか分からない事になります。
常識的に考えれば巨人の足跡を踏み人間が妊娠する可能性はゼロであり、説話に過ぎないとみる事が出来ます。
姜原の妊娠の仕方は明らかにおかしいともされていますが、有史以前は母系社会だとも考えられており、母親を知っていても父親が知らない場合が多かったとされているわけです。
さらに、後世の人間が王朝の始祖に神秘的な出来事を付加した結果として、巨人の足跡を踏んで聖人を身籠った姜原の話が出来上がったとも考える事が出来ます。
尚、女性が男性と交わり妊娠するのではなく、不思議な出来事などにより妊娠したりする話を感生神話と呼びます。
姜原の出来事も感生神話となります。
子供に感化される
姜原は后稷を出産しますが、巨人の足跡を踏み妊娠するなど現実離れしている事に不快感を抱いたのか、生まれたばかりの子を棄ててしまいました。
しかし、牛馬は后稷を避けて通り、鳥が后稷を温めるなど、后稷を害する動物すらいなかったわけです。
様々な出来事が起きた結果として、姜原は后稷を育てる事にし、何度も我が子を棄てようとした事から「棄」と名付けました。
後に后稷(棄)は五帝の堯や舜の時代に功績を残す事になります。
尚、親が子を棄てたのにも関わらず、動物が温めたりする話は、高句麗の始祖である朱蒙にも似たような話があります。
高句麗の朱蒙の話は扶余の建国がモデルになっており、中華圏ではありがちな建国神話にもなるのでしょう。
姜原が何度も后稷を棄てたのは、周王朝の祖とも言うべき后稷の聖人ぶりを際立たせる為の出来事だったと考える事も出来ます。