故事成語 斉(春秋) 春秋戦国時代

管鮑の交わりの意味と由来と問題点

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宮下悠史

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名前管鮑の交わり
時代春秋戦国時代
コメント史記や列子に書かれている故事成語

管鮑の交わりは春秋時代の故事成語であり、無二の親友である管仲と鮑叔の関係を指します。

管鮑の交わりは故事成語にもなっています。

意味としては「利害を超えた親交」「親密な交際」などを指します。

管仲は鮑叔を「両親以上に自分を分かってくれる存在」としました。

管鮑の交わりは美談にもなっていますが、実際には戦国時代に出来た創作だとも考えられています。

今回は管鮑の交わりの意味や由来や問題点などを紹介します。

尚、史記には友情を話す逸話として廉頗藺相如刎頸の交わりもあります。

管鮑の交わりの由来

史記の管晏列伝を見ると、冒頭で管仲の名前と出身地を紹介した後に、次の文章に繋がります。

※史記管晏列伝より

管仲は若い頃、鮑叔牙と知り合い、鮑叔は管仲が賢い事を知っていた。

管仲は貧しく、よく鮑叔を欺いたが、鮑叔はいつまでも見捨てず、彼の事をとやかく言わなかった。

これが管鮑の交わりと大きく関わる文言であり、管仲と鮑叔の関係を示しています。

後に鮑叔は小白(斉の桓公)に仕え、管仲は公子糾に仕え、斉の襄公没後の後継者争いを演じますが、小白が勝利しました。

ここで鮑叔は管仲を推挙し、管仲は宰相としての手腕を発揮し、斉の桓公は覇者となったわけです。

管仲が斉の桓公を春秋五覇の一人にまで押し上げました。

具体的な管鮑の交わり

史記での管鮑の交わりに関する記述はこれだけでは終わらず、管仲の言葉として、次のものが挙げられています。

※史記管晏列伝より

管仲「過去に私が貧乏だった頃に鮑叔と商売をしたが、自分の取り分を多くしてしまったが、鮑叔は私を貪欲だとは言わなかった。

鮑叔は私が貧乏だと知っていたからである。

私は鮑叔の為に事業を行ったが失敗し、困窮した事があるが、鮑叔は私を愚か者だとは言わなかった。

鮑叔は時勢がある事を知っていたからである。

過去に私は三度仕官し三度お払い箱になったが、鮑叔は私を無能扱いしなかった。

私が時の利に会わなかった事を知っていたからである。

過去に私は三度戦い三度敗れて逃亡したのに、鮑叔は私を卑怯者とは言わなかった。

私に老婆がいる事を知っていたからである。

同僚の召忽は殉死したが、私は捕虜となり辱めを受けたが、鮑叔は恥知らずだとは言わなかった。

鮑叔は小節に拘らず、功名が天下に顕れないのを恥としたのを知っていたからである。

私を生んでくれたのは父母であるが、私を知ってくれたのは鮑子(鮑叔)である」

管仲にとって鮑叔は「都合のよい友人」にも見えますが、自分をよく理解してくれたのは鮑叔だという事になります。

史記によると世間の人々は、管仲の賢さよりも、鮑叔の人を知る明を褒め称えたと言います。

これと同時に管鮑の交わりでは、管仲ほどの才能がある人であっても、鮑叔の推挙がなければ出世は出来ないという事でもあるのでしょう。

管鮑の交わりは人に認められる大切さも教えてくれる故事成語だと感じました。

管鮑の交わりの問題点

管鮑の交わりですが、話としては美しく出来ていますが、史実ではないとも考えられています。

落合敦思氏は書籍「古代中国 説話と真相」の中で指摘しおり、紹介します。

夢がないと思うかも知れませんが、管鮑の交わりの話自体が春秋時代の社会情勢とあっていないと落合氏は指摘しました。

管鮑の交わりを語る上で、管仲が貧しかったとする話があります。

春秋時代は貴族制であり管氏や鮑氏は中~上級の貴族であり、貧しかった事はなかったと考えられます。

管鮑の交わりの話の中で管仲は三度仕官して、三度ともクビになったとされていますが、春秋時代の諸侯の人事は閉鎖的であり、亡命者を覗けば複数の君主に仕える事はありえません。

管鮑の交わりのの逸話の中で管仲と鮑叔が商売をした話もありますが、当時の社会は「貴族」「農民」「商人」で区別されており、貴族が商売をするのはあり得ないと言えるでしょう。

政争に敗れるなどで没落した農民や商人になる場合もあるみたいではありますが、一度没落してしまうと貴族になるのは不可能だと考えられています。

こうした事情などから、管鮑の交わりに登場する管仲と鮑叔の物語は創作だと考えられるわけです。

管鮑の交わりとは何だったのか

戦国時代になると貴族性が崩壊し、君主が人事権を得ました。

こうした事情により、知識人であれば君主の心を掴めば登用される事が可能になったわけです。

自国の人間ではなく君主が気に入りさえすれば、外国の人材であっても登用されました。

管仲が鮑叔の進言により斉の桓公に抜擢されたり「三度仕官して三度お払い箱になる」などの話も、戦国時代の社会情勢を現わした話になります。

こうした事情から管鮑の交わりは、戦国時代に考案された創作だと考えられるわけです。

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