
| 名前 | 隰朋(しゅうほう) |
| 生没年 | 生年不明ー紀元前645年 |
| 時代 | 春秋戦国時代 |
| 国 | 斉 |
| 主君 | 斉の桓公 |
| コメント | 管仲から後継者に指名された |
隰朋は春秋時代の斉の人物です。
斉の桓公に仕えました。
韓非子にも管仲と共に隰朋の逸話が掲載されています。
列子では管仲の病が重くなった時に、斉の桓公は鮑叔に政務を執らせようとしますが、管仲は「鮑叔に任せてはならない」と告げました。
代わりに管仲は隰朋を後継者に指名しています。
管仲が後継者に指名する辺りは、隰朋の優秀さが分かるのではないでしょうか。
ただし、隰朋も管仲の後を追う様に亡くなっています。
アリに教えを請う
斉の桓公が孤竹国を討伐しており、この時の管仲と隰朋の逸話が韓非子に残っています。
孤竹国の征伐を終えた後に、管仲と隰朋は道に迷ってしまいました。
この時に管仲は「老馬の行く通りにしよう」と述べると無事に街道に出る事に成功しました。
暫くして山中で水を切らせてしまいました。
この時に隰朋は「アリは冬は山の南側に住み、夏は北側に住む。髙さ一寸のアリ塚があれば、その八尺下には必ず水がある」と述べています。
実際に穴を掘らせると、隰朋の言った通りに水が湧いてきました。
韓非子では知者であれば馬やアリにも教えを請う事が出来るが、無知な者は聖人の知恵に頼る事を知らないと述べています。
隰朋は韓非子でも、優れた人材だと認められた事になるでしょう。
管仲の遺言
列子によると、管仲が重病となり、斉の桓公は誰に政務を任せるべきか問いました。
ここで斉の桓公は鮑叔の名を挙げています。
しかし、管仲は鮑叔の性格を問題視しており、管仲に「やめるべき」と進言しました。
斉の桓公は「ならば誰に国政を任せるべきか」と問うと、管仲は次の様に応えています。
※列子より
管仲「隰朋に任せるべきです。
隰朋は君臣に無心で仕えており、下は民の期待を裏切りません。
自分が黄帝に及ばない事を恥じており、自分以下の者達には憐れんでいます。
徳を人に分け与える事が出来るのが聖人であり、財を人に与える事が出来るのが賢人です。
自分が賢人だと思って人に接しても、信頼を得る事は出来ません。
賢人でありながら遜った態度が出来るのであれば、必ず人の信頼を得る事が出来ます。
一国の場合でも一家の場合でもあっても、見て見ぬふりをしたり聞かぬふりをして細かい事を咎めない。
これが肝要であり、隰朋がよろしいでしょう」
黄帝に徳が及ばない事を恥じているなど、中々考えられない様な事を言っている様に思うかも知れませんが、政治を任せるのに、鮑叔よりも隰朋の方が向いていると、管仲は高く評価した事になります。
ただし、管仲が亡くなってから直ぐに隰朋も亡くなっており、結局、斉では後継者争いが勃発し国は乱れました。