キングダム

隰朋は斉の賢人

スポンサーリンク

宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細

名前隰朋(しゅうほう)
生没年生年不明ー紀元前645年
時代春秋戦国時代
主君斉の桓公
コメント管仲から後継者に指名された

隰朋は春秋時代の斉の人物です。

斉の桓公に仕えました。

韓非子にも管仲と共に隰朋の逸話が掲載されています。

列子では管仲の病が重くなった時に、斉の桓公は鮑叔に政務を執らせようとしますが、管仲は「鮑叔に任せてはならない」と告げました。

代わりに管仲は隰朋を後継者に指名しています。

管仲が後継者に指名する辺りは、隰朋の優秀さが分かるのではないでしょうか。

ただし、隰朋も管仲の後を追う様に亡くなっています。

アリに教えを請う

斉の桓公が孤竹国を討伐しており、この時の管仲と隰朋の逸話が韓非子に残っています。

孤竹国の征伐を終えた後に、管仲と隰朋は道に迷ってしまいました。

この時に管仲は「老馬の行く通りにしよう」と述べると無事に街道に出る事に成功しました。

暫くして山中で水を切らせてしまいました。

この時に隰朋は「アリは冬は山の南側に住み、夏は北側に住む。髙さ一寸のアリ塚があれば、その八尺下には必ず水がある」と述べています。

実際に穴を掘らせると、隰朋の言った通りに水が湧いてきました。

韓非子では知者であれば馬やアリにも教えを請う事が出来るが、無知な者は聖人の知恵に頼る事を知らないと述べています。

隰朋は韓非子でも、優れた人材だと認められた事になるでしょう。

管仲の遺言

列子によると、管仲が重病となり、斉の桓公は誰に政務を任せるべきか問いました。

ここで斉の桓公は鮑叔の名を挙げています。

しかし、管仲は鮑叔の性格を問題視しており、管仲に「やめるべき」と進言しました。

斉の桓公は「ならば誰に国政を任せるべきか」と問うと、管仲は次の様に応えています。

※列子より

管仲「隰朋に任せるべきです。

隰朋は君臣に無心で仕えており、下は民の期待を裏切りません。

自分が黄帝に及ばない事を恥じており、自分以下の者達には憐れんでいます。

徳を人に分け与える事が出来るのが聖人であり、財を人に与える事が出来るのが賢人です。

自分が賢人だと思って人に接しても、信頼を得る事は出来ません。

賢人でありながら遜った態度が出来るのであれば、必ず人の信頼を得る事が出来ます。

一国の場合でも一家の場合でもあっても、見て見ぬふりをしたり聞かぬふりをして細かい事を咎めない。

これが肝要であり、隰朋がよろしいでしょう」

黄帝に徳が及ばない事を恥じているなど、中々考えられない様な事を言っている様に思うかも知れませんが、政治を任せるのに、鮑叔よりも隰朋の方が向いていると、管仲は高く評価した事になります。

ただし、管仲が亡くなってから直ぐに隰朋も亡くなっており、結局、斉では後継者争いが勃発し国は乱れました。

スポンサーリンク

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

宮下悠史

YouTubeでれーしチャンネル(登録者数5万人)を運営しています。 日本史や世界史を問わず、歴史好きです。 歴史には様々な説や人物がいますが、全て網羅したサイトを運営したいと考えております。詳細な運営者情報、KOEI情報、参考文献などはこちらを見る様にしてください。 運営者の詳細