
晋侯緡は春秋時代の晋の君主です。
晋では本家の翼と分家の曲沃で対立していましたが、小子侯が亡くなった時に、周の桓王により晋の君主になる事が出来ました。
しかし、最終的に曲沃の武公により、晋侯緡の代で翼の本家は滅亡しています。
晋の本家では暗殺などもあり、即位して早い時期に亡くなる者も多かったわけですが、晋侯緡の在位は28年にも及びました。
本家と分家が争う様になってから、翼の君主では在位年数が最長となっています。
晋侯緡の即位
晋侯緡は兄の晋の小子侯が曲沃の武公により殺害された事で、晋の君主となりました。
曲沃の武公は翼を攻撃し滅ぼした事で、晋の本家は一旦は滅亡しますが、周の桓王が動き虢公林父により復興する事になります。
周の桓王が動かなかったら、晋侯緡は晋公になる事は出来なかった事でしょう。
それと同時に、晋の翼の本家は周の桓王の手助けが無ければ、曲沃の分家を抑える事が出来ない状態になっていたと言えます。
過去に周の桓王は曲沃の荘伯と仲違いしており、周の桓王は曲沃の勢力をよく思っていなかったのかも知れません。
春秋左氏伝には紀元前703年に虢、芮、梁、荀、賈の諸侯が曲沃を攻撃した記述があり、周の桓王の意向が多分に含まれていた事でしょう。
尚、晋侯緡の在位は長く晋世家には、当時の起きた出来事も記載されており、晋侯緡の4年に宋が鄭の祭仲を捕らえ、鄭の公子突(厲公)を鄭の君にしたとあります。
晋侯緡の19年には斉で内乱があり、管至父が斉の襄公を殺害した事件を記録しました。
史記によると、晋侯緡の28年に斉の桓公が初めて覇を唱えたとあります。
斉の桓公が覇者になったという事なのでしょう。
晋侯緡の最後
晋侯緡は在位28年もありますが、この期間に何をしていたのかも不明です。
曲沃の武公も存命中でしたが、晋侯緡と戦った記録もありません。
しかし、斉の桓公が覇者となった年と同年である紀元前679年に、曲沃の武公が晋侯緡を討った記録があります。
史記には曲沃の武公が晋侯緡を滅ぼしたとする記述があり、ここで晋侯緡は命を落としてしまったのでしょう。
春秋左氏伝には晋侯緡が晋の君主になった記録はありますが、晋侯緡が亡くなった記述はありません。
この頃には、晋侯緡を擁立した周の桓王も崩御しており、後継者の周の荘王も亡くなり、周の釐王の時代となっていました。
曲沃の武公は東周王朝への懐柔も成功しており、晋の本家を滅ぼしてしまったのでしょう。
ただし、春秋左氏伝には晋侯緡の最後が書かれておらず、晋の武公は周の釐王に賄賂を渡し、晋侯緡の後継者として認めて貰ったのかも知れません。
それでも、晋侯緡の時代に晋の文侯からなる翼の本家が、滅亡した事だけは間違いないのでしょう。
| 先代:小子侯 | 晋侯緡 | 次代:武公 |