
| 国名 | 向 |
| 姓 | 姜姓向氏 |
| コメント | 莒に滅ぼされた。 |
向は春秋時代の初期に存在した国であり、姜姓の国でもあります。
姜姓と言えば、斉や太公望を連想してしまう人も多いかと思いますが、向がどの様にして誕生したのかは不明です。
春秋左氏伝の魯の隠公の2年(紀元前721年)に、向姜なる女性が登場します。
向出身で姜姓の女性なので、向姜なのでしょう。
しかし、向姜は莒に嫁ぎながらも帰還し、怒った莒の人々が向を攻撃し、向姜を連れ去った事件が春秋左氏伝に記録されています。
尚、真相が不明ですが、紀元前721年に起きた事件を以て、向の滅亡とも考えられている状態です。
ただし、向は小国であり記録が殆どなく、謎の部分が多いと言えるでしょう。
向姜が連れ戻される
春秋の魯の隠公の2年(紀元前721年)に、次の事が書かれています。
※春秋より
夏五月、莒人、向に入る。
上記の記述だけでは、何があったのかは分かりにくいのですが、紀元前721年に莒が向に入った事が記述されています。
この事件に関して、春秋左氏伝には伝文が記述されており、莒の君主が向から夫人を迎えていましたが、夫人の向姜が嫌がり、帰国したとあります。
春秋左氏伝の文章には、何年に向姜が莒の君主に嫁いだのかは不明ですが、莒国に馴染めず勝手に帰国してしまったという事なのでしょう。
しかし、紀元前721年の夏に莒の人々は向を攻撃し、向姜を連れて帰ったとあります。
女性問題で揉めたケースとしては、斉の桓公と蔡姫の話もあり、斉の桓公は蔡を攻撃しました。
莒も同様に弱小国である向を攻撃してしまったのでしょう。
紀元前721年に向は滅亡したのか
春秋に莒の人が向に入ったとあり、これが向の滅亡とする説があります。
ウィキペディアの周朝諸侯国一覧の記述を見ると、この記事を書いている時点では、次の様になっていました。

ウィキペディアにも向の単独の記事はありませんが、向国が姜姓向氏であり、国の場所が山東省莒県西南だとあります。
国の位置から言って、莒の隣接国だという事が分かるはずです。
さらに、向は子爵の国で、建国した年は不明ですが、紀元前721年に莒により滅ぼされた事が書かれています。
この記述からウィキペディアでは、紀元前721年の向姜の事件の時に、向が莒に滅ぼされたと考えているのは明白でしょう。
ただし、春秋左氏伝を見ると、向姜を連れ去ったと記述しているだけであり、滅ぼしたとは書かれていません。
こうした事情もあり、紀元前721年に本当に向が滅びたのかは謎としか言いようがないでしょう。