
| 名前 | 郜(こう) |
| 建国~滅亡 | 建国年不明ー紀元前710年 |
| コメント | 春秋時代に滅んだ姫姓の小国 |
郜国は西周王朝の時代から、春秋時代まで続いた小国です。
郜は小国ながらも姫姓の国で、創始者の郜叔は周の文王の子となっています。
西周王朝の時代の郜に関する事は分かっておらず、春秋左氏伝に鄭に滅ぼされ、魯に与えられた記録だけが残っています。
同時期に防も鄭により陥落しました。
春秋左氏伝に宋の華父督が魯に郜の大鼎を贈った話があり、郜の大鼎は郜で作られたと考えられています。
どの様な経緯で宋に郜の大鼎が移ったのかは分かっていません。
郜は姫姓の国
春秋左氏伝の魯の僖公の24年(紀元前636年)の富辰の言葉の中で、下記の国が周の文王の子の国だと述べています。
管・蔡・成・霍・魯・衛・毛・聃・郜・雍・曹・滕・畢・原・酆・郇
上記の中に郜も含まれており、名前の順番から周の文王の十一男が封じられたのが、郜となります。
ただし、周の武王の兄弟が封じられたのは、殷を打倒してからであり、周の武王や周の成王の時代に、郜に封じられたと考えられています。
郜に封じられたのが、どの様な状況だったのかはよく分かっていません。
それでも、姫姓の国であり中原の地に封じられたのでしょう。
郜の滅亡
春秋左氏伝の魯の隠公の十年(紀元前713年)に、斉・鄭・魯の軍が宋を攻撃したとあります。
この時に、春秋左氏伝には、次の記述があります。
※春秋左氏伝より
鄭軍は郜を攻撃し、翌辛末の日、我ら(魯)に郜を贈って来た。
一行で終わってしまう記述ですが、これが郜の滅亡だと考えられています。
宋を攻撃するはずの鄭が郜を攻撃するという事は、郜は宋に味方した。もしくは宋に従う衛星国でもあったのでしょう。
鄭の配慮により郜は、魯に与えられる事になります。
尚、郜が滅亡したのと同時期に、防も魯の攻撃を受けており、同様に魯に与えられました。
郜の大鼎
紀元前710年に宋の華父督は、主君の宋の殤公と大司馬の孔父嘉を誅しました。
宋の荘公が即位しますが、華父督は諸侯からの非難を防ぐために、魯に郜の大鼎を贈り、斉、陳、鄭にも賄賂を贈った話があります。
宋が魯に贈った郜の大鼎は、元は郜国にあったと考えられています。
紀元前710年に郜の大鼎が宋にあると言う事は、郜が大鼎を宋に贈るか、鄭が郜を滅ぼした時に、鄭が郜の大鼎を手にしたが、後に宋に贈るなどしたという事になるでしょう。
しかし、鄭と宋は対立しているわけであり、郜の大鼎は郜が宋に贈るか、滅亡時に郜の誰かが大鼎を持ち宋に逃亡したと考えた方が自然だと感じました。
郜の大鼎を受け取った魯の桓公は大廟に納めますが、臧孫達が諫めた話があります。
その後に、郜の大鼎がどの様になったのかは不明です。
魯は戦国時代に楚に滅ぼされますが、この時まで郜の大鼎が魯にあったのかも分かっていません。