
| 名前 | 外戚(がいせき) |
| コメント | 皇帝や天皇の母親の一族を指す |
外戚は主に皇帝や天皇の母親の一族を指します。
世界史では後漢王朝で幼帝が続いた事で、外戚問題が多く発生し、日本でも藤原氏が外戚として権力を握ったのは有名でしょう。
幼い皇帝が即位した時に外戚が権力を握るのが普通です。
外戚には皇帝(主に甥)の政治を補佐する大義名分があり、権力を握ると一族の多くを高官につける事になります。
しかし、外戚の権力の根源は太后(皇帝の母親)にあり、太后が亡くなると一気に滅ぶケースも多いです。
世界では外戚が権力を握るのを防ぐための仕組みを作った国もあり、それらも合わせて解説します。
外戚はなぜ権力を握るのか
外戚が権力を握るパターンは、皇帝が幼く政治が行えない場合に、皇后が政治を行い、皇帝の代理になりますが、この時に一族の者達を主要な役職に就任させ政治を行うのが普通です。
政府高官に一族の者が大半を占める様になり、結果として外戚が権力を握る事になります。
ただし、中国で考えれば外戚は異姓のものであり、王朝の根底を揺るがしかねない危険な状態だとみる事も出来るはずです。
外戚が軍権を握ってしまう場合もあり、これにより誰も口答えが出来ない状態になる事もあります。
外戚と皇帝の関係
権力を握った外戚と幼少の皇帝の関係は、叔父と甥の関係が多いと言えるでしょう。
叔父は幼き皇帝を助ける義務があり、助けられた皇帝は叔父に敬意を表する事になります。
この関係は当然と言えば当然であり、誰も文句をいう事が出来ません。
もちろん、一族ばかりを要職に就けるなどは不満はあったはずですが、叔父が甥の皇帝を助ける関係には、非難はできない状態です。
外戚はなぜ滅ぶのか
外戚の権力の根源は皇太后(先帝の妻)にあり、皇太后が亡くなると、権力は一気に失われる場合が多いと言えます。
外戚が特に実権を握った国家は後漢王朝だと言われていますが、後漢王朝も皇太后が亡くなった途端に、一気に外戚が誅滅される場合も多かったわけです。
後漢王朝の場合は、皇后が亡くなった後に、皇帝は身近にいる宦官と共に立ち上がり、外戚を誅する事が多いです。
皇后が亡くなった後に外戚と宦官の戦いになると、皇帝権力の延長線上にいる宦官が勝利を収めるケースが極めて多いと言えるでしょう。
実際に後漢王朝の政治を牛耳り政治を私物化し、国家財政の半分の財産を持ったとされる梁冀であっても、梁妠や梁女瑩が亡くなると短期間で、宦官の協力を得た桓帝により滅ぼされています。
外戚が権力を保つには
外戚が長く権力を保つ為には、幼帝が即位し、一族から出来るだけ多くの者を皇后にする必要があります。
他にも、皇帝の娘を娶るなど、強い結びつきが必要です。
外戚の力が盛んだった後漢王朝の皇帝の即位年齢をみると、創業者の光武帝を数えなければ、二代目の明帝は30歳で即位しており、残りは全て20歳未満であり、10歳未満で即位した者もいたわけです。
外戚が繰り返し後漢王朝の権力を握った理由としては、余りにも皇帝の寿命が短かった事が原因だと言えるでしょう。
後漢王朝では外戚対策も行っておらず、延々と外戚が権力を握る構図が出来上がっていました。
世界の外戚対策
世界の国々では外戚対策と見られる政策を行っており、解説します。
古代エジプトの近親婚
古代エジプトでは近親婚が盛んであり、兄と妹で結婚したりもしています。
兄と妹で結婚して子供を作るのであれば、外戚問題は基本的に出ません。
もちろん、ファラオの神聖な血筋を守るなどの理由はあったにせよ、外戚を排除する為の、仕組みだったとも言えるでしょう。
ただし、近親婚は生物学的に問題があるとも考えられ、代が進むにつれて健康上の問題も出やすくなるなどのデメリットもあるとされています。
オスマン帝国の外国人奴隷によるハーレム
オスマン帝国のスルタンはハーレムを持っていた事が分かっています。
ただし、このハーレムはキリスト教の奴隷の女性が大半であり、この仕組みが外戚が権力を握るのを防止していました。
オスマン帝国のスルタンは名門の女性ではなく、諸外国の奴隷の女性でハーレムを作ったという事です。
名門の女性がスルタンの妻になれば、高確率で外戚問題が出ます。
しかし、奴隷の女性であれば、実家の権力は皆無であり、外戚問題に発展する可能性は極めて低くなるはずです。
イスラム教ではムスリム(イスラム教徒)を奴隷にする事が出来ず、主にキリスト教の女性が選ばれました。
尚、オスマン帝国と言えばイスラム教をイメージするかも知れませんが、キリスト教の女性がスルタンの母親になる事で、代を重ねる度にスルタンの純粋なイスラム教徒としての血は薄まって行った事になります。
北魏の子貴母死
北魏の道武帝は「子貴母死(しきぼし)」という制度を定めました。
子貴母死の名前に「母死」の文字が入っておりお気づきかも知れませんが、皇太子になった者の母親は死ななければならないとするルールです。
先にも述べた様に、外戚権力の根源は皇后にあり、皇帝の母親自体がいなければ防げるとする制度となっています。
子貴母死制度があると、女性の方は皇帝の寵愛は受けたいが、子を生みたくないなどのケースも多かった事でしょう。
自分の子供が皇太子になってしまったら、死ななければならず子貴母死は皇帝の側にいる女性にとっては恐怖の制度でもありました。
ただし、北魏の皇帝は実母は亡くなってしまっても、育ての親となる女性がおり、育ての親が権力を握るパターンもあったわけです。
皇帝の育ての親になった女性が皇帝を助ける名目で権力を握るのも、大義名分があり強い力を持った例もあります。