潘秘は潘濬の子であり、潘翥の弟にあたる人物です。
潘秘は陳寿が書いた正史三国志の本文には名前がありませんが、裴松之が残した注釈の『呉書』と『襄陽記』に名前が見られます。
孫権の一族の娘が潘秘に夫人になっている事などを考えると、潘秘は孫権からかなり期待されていたのでしょう。
潘秘は習温の後に公平の役職となるや、郷里において高い評判を得たとする話もあります。
潘秘は人を見る目にも優れていたのでしょう。
尚、習温の父親の習珍を樊伷と共に斬ったのは、潘秘の父親である潘濬です。
しかし、潘秘と習珍を見ると恨みなどは全く感じられず、お互いの能力を評価している様にも見えます。
今回は呉の名臣と呼ばれる潘濬の子である潘秘を解説します。
孫権の姉の娘を与えられる
潘秘は正史三国志の注釈・呉書によれば、次の記述があります。
「潘翥の弟の潘秘は、孫権の姉・陳氏の娘を妻として与えられた。
湘郷県の令に任ぜられた」
この記述から、孫権の姉である陳氏の娘を、潘秘は妻にした事が分かります。
潘秘は皇族の娘を妻にした事となり、孫権からは格別とも言える待遇を手にしたとも言えます。
ただし、潘秘とその妻が仲がよかったなどの記述はなく、夫婦仲に関しては不明です。
潘秘の姉か妹なのかは分かりませんが、潘濬の娘が皇族の孫慮に嫁いだ話があります。
潘家は荊州名士であり、孫権は関係を強化したいと考えたのかも知れません。
孫権の潘濬に対する信頼の深さが、孫家と潘家の姻戚関係に繋がっている様にも感じます。
習温に評価される
襄陽記に潘秘と習温が話した内容が残っています。
習温は荊州の大平公となっていました。
大公平は後に「中正」と呼ばれる役職であり、人材をランク付けして中央に推薦する役職です。
三国志の時代は「九品官人」の制度があり、九品官人の要にもなっていた役職となります。
潘秘は習温に面会すると、次の様に述べています。
潘秘「亡き父(潘濬)は『貴方(習温)はきっと郷里の人物評論の中心となるであろう』と述べられていた。
現在の貴方は大公平になっていますし、父の言った通りになっています。
郷里の中で貴方の後継者になる事が出来る者を教えて欲しいと思います」
潘秘は習温の問いに対して、次の様に述べました。
習温「あなたに勝る者はいない」
これを見ると、習温は潘秘を高く評価している事が分かります。
後に潘秘は尚書僕射となり、習温の後継者となり公平の役職に就任しました。
潘秘は郷里において高い評価を得た話があります。
潘秘が公平になれたのは、習温が潘秘を推薦した可能性もある様に思います。