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廖立は群臣をこき下ろし、庶民に落された人物
2025/12/1
廖立は、三国志の蜀に仕えた武将であり字は「公淵」となっており、荊州武陵郡臨沅県の出身です。 赤壁の戦い後に、劉備は荊州の牧となり、荊州の一部を治める事になりますが、ここで廖立が配下となります。 因みに ...
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周の康王の時代は本当に天下安寧だったのか?
2025/12/19
周の康王の時代は、史記などによれば天下安寧だったと記述があります。 周の康王の父親である成王の時代は、三監の乱があり混乱があった事を考えれば、康王の時代が西周王朝で一番平和だった様に思うかも知れません ...
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孝文王(安国君)は、服喪が終わり僅か3日で死去した秦王
2025/12/21
秦の孝文王は、服喪の期間が終わり、僅か3日で死去した秦王です。 孝文王の名は嬴柱であり、安国君の名でも通っています。 即位してから3日で亡くなるのは、歴代最短の王位とも言えます。 父親である秦の昭王が ...
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小篆(しょうてん)は秦の始皇帝が定めた公式の書体(文字の統一)
2025/12/19
小篆(しょうてん)は、秦の始皇帝が定めた公式の書体の事を指します。 秦の始皇帝は戦国七雄の国々を征服し、天下統一を成し遂げる事になります。 始皇帝は天下統一後は、蒙恬に北方の匈奴を討たせたり、万里の長 ...
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劉琰(りゅうえん)は妻への暴力で処刑された人物
2024/4/9
劉琰(りゅうえん)は字が威碩であり、劉備が豫州刺史だった時代に仕える事になります。 劉琰は劉備の賓客となり、益州まで行き劉備死後は、劉禅にも仕えています。 劉琰は知名度は低いかも知れませんが、将軍の中 ...
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張魯は名君であり、まともな宗教指導者
2025/12/30
張魯は五斗米道の宗教指導者であり、三国志演義では野心家で感じがよい人物ではありません。 しかし、正史三国志を中心に見た張魯は、民衆の為の政治を行った様にも見えますし、名君と呼べる存在です。 劉焉から漢 ...
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周の文王は本当に聖人なのか
2026/6/16
周の文王(姫昌)と言えば聖人の代名詞の様な人物です。 五帝の堯や瞬、夏の始祖である禹、殷の湯王などに匹敵する徳を持った、人物ともされています。 周の文王の時代は、殷の最後の王である紂王の時代でした。 ...
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商鞅の史実・法家の改革者の悲劇
2026/4/5
商鞅は法家の第一人者とも呼べる人物です。 商鞅は秦の孝公に仕えると、秦を法治国家に変貌させ戦国七雄の、最強国に押し上げる事になります。 ただし、改革者の商鞅は国を強くする為に、秦の太子(後の秦の恵王) ...
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孫武の史実・兵法書は有名だが謎に包まれた人物
2026/4/5
孫武は孫子の兵法書で有名な人物だと言えます。 孫子の兵法書は、日本でもよく読まれている書物です。 本屋に行けば孫子の兵法書の本が何冊も置かれていたりします。 孫子の兵法書はビジネスにも使えると、評判が ...
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范増は項羽の軍師だが、最後は袂を分かつ
2026/1/30
范増は、項羽や項梁の軍師と呼んでもいい人物です。 項梁の陣を訪れた時は、70歳を超える老人でしたが、大いに重用される事になります。 早くから劉邦が危険な人物だと見抜いているなど、眼力にも優れた人物だと ...