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紀元前1200年のカタストロフとは何だったのか

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宮下悠史

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名前紀元前1200年のカタストロフ
時代紀元前1200年頃
地域地中海東部
コメント地中海東部の栄えた地域が一斉に崩壊した

紀元前1200年のカタストロフは、紀元前1200年頃に栄えていた東地中海沿岸地域の国々が崩壊した事を指します。

別名として「前1200年のカタストロフ」「前1200年の崩壊」などと呼ばれる事が多いです。

エーゲ文明の覇者であったミケーネ文明が崩壊し、ヒッタイトやウガリトなど栄えていた国々が姿を消しました。

過去には紀元前1200年の原因は気候変動や疫病により、民族移動を始め海の民の襲撃が文明を崩壊させたと考えられてきました。

しかし、近年では、海の民だけでは紀元前1200年のカタストロフは説明できないともされています。

それでも、紀元前1200年頃に栄華を誇った様々な文明が崩壊し、ギリシアなどは暗黒時代に突入したわけであり、何かしらの事はあったと考えられています。

紀元前1200年のカタストロフと海の民

紀元前1200年のカタストロフにおいて、文明破壊が起きた最大の原因を海の民に求められると思っている方は多いのではないでしょうか。

気候変動や疫病により民族移動が発生し、押し出された民族が海の民となり、地中海東部を荒しまわった説は紀元前1200年のカタストロフと結びつけられやすいと言えます。

エジプト新王国の記録に海の民がヒッタイト、ウガリト、カルケミシュなどを滅ぼし、ラムセス3世が率いるエジプト軍と戦った記録があります。

しかし、近年の研究ではヒッタイトを滅ぼしたのは、海の民ではなかったとする説が有力となっており、紀元前1200年のカタストロフが起きた原因を海の民だけに求めるのは、乱暴ではないかとも考えられる様になりました。

海の民は必要以上に紀元前1200年のカタストロフと、強く結びつけられた存在だと言えるでしょう。

紀元前1200年のカタストロフと気候変動

紀元前1200年のカタストロフは気候変動により起きたとする説があります。

気候変動により気温が低下し、乾燥や旱魃から食糧不足が深刻化したとする説です。

紀元前1200年頃にエジプト新王国やウガリトが、食料を送っていた事が文字資料から明らかになっています。

エジプト第19王朝のメルエンプタハの時代に、ヒッタイトを生かす為に食料を送った記録もあります。

交易都市として栄えたウガリトは、ヒッタイトに食料を送るために各国から買っており、ヒッタイトへの食糧支援がウガリト崩壊に繋がったとする説もあります。

紀元前1200年のカタストロフと地震

紀元前1200年のカタストロフと、地震を結び付ける説も根強くあります。

紀元前1200年のカタストロフは東地中海の沿岸で起きていますが、該当地域のエーゲ海、アナトリア、レヴァントの地域などはプレートの関係もあり、地震の多発地帯としても知られています。

これらの地域は「地震嵐」の言葉で呼ばれる事も多いです。

ただし、エジプトまで行くと、地震の数は一気に少なくなります。

ウガリトは海の民により崩壊したとする説も出ていますが、地震により壊滅したのではないかとする説もあります。

紀元前1200年のカタストロフにおいて、ギリシアは特に地震との関係を結び付けられやすい地域でもあります。

過去にはティリンスの遺跡で出土した土偶が、地震により落下したとする説がありましたが、現在では可能性は低いと考えられる様になりました。

紀元前1200年のカタストロフと戦乱

紀元前1200年のカタストロフを考える上で、海の民による外敵が原因とするものがあります。

近年では海の民は地中海周辺に現れた事は事実だが、ヒッタイトや周辺国を滅ぼしてはいなかったとする説も強くなっています。

ヒッタイトではカシュカ族が長年の脅威になっていましたし、レヴァント地域の南部ではハビルやアピルが脅威になっていました。

紀元前1200年のカタストロフでは外敵ばかりではなく、内乱から国々が崩壊したとする説もあります。

ギリシャのミケーネ文明ではティリンスとピュロスの対立があり、支配者層に対する上級国民の離脱や反乱なども予測されている状態です。

紀元前1200年のカタストロフと疫病

文明を崩壊させる為の手段として、疫病もよくいわれる事です。

医療が発展していない古代では、疫病により人口が激減し、異民族が豊かな地を求めて移動してくる事も少なくありませんでした。

日本でも崇神天皇の時代に、大規模な疫病が発生した事が記録されています。

当然ながら、紀元前1200年のカタストロフにおいても、疫病説は存在しています。

ただし、考古学的な遺跡などから疫病が発生していたのかは、分かりにくい部分もあり真相は不明としか言いようがありません。

尚、紀元前1200年のカタストロフ以前ではありますが、アラシヤやヒッタイトで疫病が発生した記録が残っています。

アラシヤではネルガルの手により多数の死者が出たとあり、ヒッタイトでは疫病が20年も国を苦しめていると、ムルシリ2世が祈祷を行った話があります。

ただし、アラシヤやヒッタイトで紀元前14世紀中頃から後半くらいに疫病が発生した事は事実だと考えられますが、疫病が原因でヒッタイトやアラシヤが崩壊する事はありませんでした。

紀元前1200年のカタストロフと各地の世界

エジプト

紀元前1200年のカタストロフで、エジプト第19王朝のメルエンプタハと、第20王朝のラムセス3世は海の民と戦った記録が残っています。

ラムセス3世の時代には、エジプト新王国は既に全盛期を過ぎていたとされています。

それでも、ラムセス3世は海の民を退けた事で、現在でもエジプトで人気があります。

紀元前1200年のカタストロフでも崩壊する事無く生き残ったエジプトですが、穀物価格や物資の高騰もあり、労働者のストライキが発生しました。

エジプト新王国では建築物の制作も続いており、紀元前1200年のカタストロフにより国が崩壊したとは言えないでしょう。

エジプト新王国では紀元前1200年のカタストロフを境に一気に崩壊する事はありませんでしが、社会問題などもあり徐々に衰退していったと言えそうです。

エーゲ海周辺

紀元前1200年のカタストロフにより、エーゲ文明が崩壊したのは有名な話です。

ミケーネ文明が崩壊したわけですが、この時期から線文字Bが使われなくなりました。

ギリシャにあった宮殿も崩壊した事が分かっています。

紀元前1200年のカタストロフにより、ギリシアは暗黒時代に突入したとも言われていますが、各地に軍事色の強い勢力が割拠していた事も分かっています。

紀元前1200年のカタストロフ以前に繁栄した地域とは、離れた場所では発展していた事も分かりました。

ミケーネ文明の中心が崩壊した事で、搾取されていた周辺地域が解放され、豊かになったとも見られている状態です。

エーゲ文明に属するクレタ島では、高地性集落が形成されており、戦乱に備えた形跡も見られる様になっています。

ミケーネ土器やミケーネ土偶は紀元前1200年のカタストロフ以後も、普通に作られました。

ギリシアでは文明が完全崩壊したわけでもないのでしょう。

キプロス

キプロスは紀元前1200年のカタストロフが終わった後に、逆に発展したんじゃないかと考えられている地域です。

キプロス島は銅の産地として有名であり、銅の交易も継続して行われました。

ミノア文字も引き続き使用されています。

紀元前1200年のカタストロフの影響を受けなかった珍しい地域でもあるのでしょう。

レヴァント

レヴァント地方では紀元前1200年のカタストロフで、ウガリトが崩壊した事は有名でしょう。

ウガリトが崩壊した事は間違いありませんが、レヴァント地方では破壊される事も無く活動が継続された地域もある事が分かっています。

交易の中心地として栄えたウガリトが滅んだ事で、紀元前1200年のカタストロフで大打撃を受けたと思われがちなレヴァント地域ですが、遺跡の発掘から、全体的には被害は少なかったのではないかとも考えられています。

アナトリア半島

紀元前1200年のカタストロフでヒッタイトが滅亡した事は有名でしょう。

ヒッタイトでは楔形文字でヒッタイト語を書いていましたが、これ以降は見られなくなりました。

首都のハットゥシャは崩壊しましたが、全てが崩壊したわけではなく活動を継続している地域もあった事が分かっています。

紀元前1200年のカタストロフでヒッタイトが滅亡しても、ヒッタイト系の国は存続した例もあります。

アナトリア半島でも、紀元前1200年のカタストロフで、全てが崩壊したわけではないという事です。

尚、ルウィ語象形文字はヒッタイト崩壊後も残りました。

紀元前1200年のカタストロフにより、ヒッタイトが崩壊した事で、鉄の技術が周辺国に伝わり、青銅器の時代から鉄の時代に移行したとする話はよく言われている所です。

ただし、ヒッタイトと鉄に関しては、最近では異説も唱えられる様になりました。

※この記事は有村元春先生の「海の民」の謎に迫る~最新の研究成果から探る「海の民」の実像~を元に作成しました。(動画制作予定)

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