古代オリエント

グティ人は山の大蛇と呼ばれた

2025年11月12日

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宮下悠史

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名前グティ人
地域メソポタミア地方
コメントアッカド帝国を崩壊に導いたと言われる

グティ人はアッカド帝国を滅ぼした事で有名です。

しかし、民族系統は不明であり、謎多き民族でもあります。

シュメル王名表を信じるのであれば、21人の王が90年に渡りメソポタミア南部を支配した事になるでしょう。

グティ王朝があった様ではありますが、最終的にグティ王のティリガンシュメール人のウトゥヘガルに敗れて終焉を迎えました。

これによりメソポタミア文明では、ウル第三王朝の時代に突入する事になります。

尚、古バビロンや新アッシリアの時代に見られるグティの名は、実体のない名称であり周辺異民族を指す言葉とも考えられています。

グティ人の歴史

アッカド人サルゴンにより、メソポタミア南部のシュメール人をも征服し繁栄しました。

アッカド帝国はナラムシンの時代になると、グティ人の脅威に晒される事になります。

ディヤラ河上流周辺の丘陵地に、グティ人がおりアッカド帝国に対し侵略に入ったと考えられています。

アッカド帝国のナラムシンはグティ人の攻勢により、世を去ったのではないかとする説もあります。

文学作品である「アッカドの呪い」ではグティ人の侵入により、アッカド帝国は崩壊した事になっています。

ナラムシンの後継者としてシャルカリシャッリが立ちますが、グティ人がアッカド帝国の本拠地に迫るなど脅威は続きました。

グティ人の脅威が始まったのは、シャルカリシャッリの時代からだとする説もあります。

尚、グティ人はアッカド帝国のシャルカリシャッリと戦いますが、シャルラク王が捕虜になってしまった話もあります。

しかし、グティ人はアッカド帝国を攻撃し続けて破壊し続けました。

アッカド帝国ではシャルカリシャッリの後は誰が王になったのかの詳細は不明であり、グティ人により混乱が巻き起こったと考えられています。

グティ人がアッカド帝国に代わり、メソポタミア中南部において最大勢力になったと見る事も出来ます。

シュメル王名表によればグティ人の王が、91年間と40日間支配し21人の王が現れたと言います。

しかし、最終的にウルクのシュメール人であるウトゥヘガルにより、グティ王のティリガンが敗れグティ王朝は崩壊しました。

グティ人に対する見解

グティ人に関しては否定的な見解も存在しており、アッカド帝国の崩壊はシュメール人の都市の離反とエラム人の侵攻が原因とする説もある状態です。

ただし、グティ人がウンマを服属したのは、確実視されています。

グティ人がメソポタミアの全土を征服したのは、ありえないとする見解は一致しています。

アッカド王朝の後にグティの時代を置くべきだとする主張もあれば、アッカド王朝末期にグティの時代を入れるべきだとする意見もあります。

グティ人と山の大蛇

ウトゥヘガルの碑文には、次の様に書かれています。

※シュメル(中公新書)より引用

グティ、山の大蛇・蠍、神々に暴力を働く者、シュメルの王権を異国に運び去った者、シュメルの地を邪悪で満たした者、妻ある者から妻を奪い、子共ある者から子供を奪いし者、国土の邪悪と暴力をはびこらせし者。

ウトゥヘガルの碑文を見ると、グティ人はかなり酷い事を言われているのが分かります。

しかし、あくまでも勝者であるウトゥヘガルが言っているのであり、全てを信じるわけにはいかないはずです。

それと同時にグティ人は山の大蛇や蠍と呼ばれ、人々からは恐れられたのではないでしょうか。

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