名前 | 解夫婁王 |
読み方 | かいふるおう |
所属 | 扶余 |
登場 | 三国史記・高句麗本紀 |
コメント | 遷都を行い東扶余と号す |
解夫婁王は扶余の王でしたが、後継者を得る事が出来ませんでした。
鯤淵に出かけた時に、解夫婁王は金蛙を得る事になります。
この後に、解夫婁王は宰相の阿蘭弗の進言により首都を東に移しました。
これにより国号が東扶余に代わる事になります。
後に阿蘭弗が亡くなると金蛙が後継者となり、扶余が元いた場所には解慕漱が入りました。
解夫婁王の話は高句麗本紀の最初にある話であり、ここから柳花や朱蒙の話に繋がっていきます。
今回は東扶余に遷都した解夫婁王を解説します。
金蛙を得る
扶余王の解夫婁王には子が無く、後継者で悩んでいました。
解夫婁王は山川の祭祀を行い嗣子が現れる事を願ったわけです。
古代なので、困った時の神頼みと言うのもあったのでしょう。
解夫婁王が馬に乗り出掛けた時に、馬が鯤淵(地名)まで行くと大きな石を見て涙を流しました。
鯤淵の大きな石を見た解夫婁王は感じる所があり、その石を転がしてみたわけです。
すると、小児がおり金色に輝き形は蛙の様な姿をしていました。
小児を見た解夫婁王は、次の様に述べています。
※三国史記 始祖 東明聖王より
これは天が私の後継者にしろと言っているに違いない。
後継者がいなかった解夫婁王は、小児を後継者にすると宣言し、金蛙と名付けました。
この時の解夫婁王の喜びは大きかった話があります。
捨て子なのか孤児なのかは不明ですが、金蛙は一気に太子の位を得る事になります。
アッカドのサルゴンなど捨て子伝説は世界中にありますが、金蛙にも捨て子だったとする話があり、神話の世界のパターンだとも言えます。
高句麗本紀は金蛙と解夫婁王の話から物語は進みます。
尚、解夫婁王と金蛙には血縁関係は無かった事になり、解夫婁王と金蛙の話はあくまでも伝承ではないか?とも考えられています。
それか古代扶余の世界では中華の三皇五帝の様に、血縁関係を重視する世襲制ではなかったと見る事も出来るはずです。
東扶余
金蛙を得た解夫婁王に宰相の阿蘭弗は、次の様に進言しました。
※三国史記 始祖 東明聖王より
阿蘭弗「近頃、日輪が天からやってきて私に『将来、私の子孫がここに国を建てるから、汝らはこの場所を去るのがよいだろう。
東海の浜に迦葉原と呼ばれる土地があり、土壌は肥沃で五穀を作るのに適し、正に都とする場所だ』と述べました。
阿蘭弗は遷都を解夫婁王に勧めました。
解夫婁王は、これにより金蛙を連れて遷都を行い国号を東扶余としています。
扶余が元いた場所には、天帝の子を名乗る解慕漱が現れる事になります。
東扶余に遷都した解夫婁王が亡くなると、金蛙が後継者となりました。
解慕漱が柳花を犯し、これが朱蒙と繋がり高句麗の建国に繋がるわけです。