名前 | 熊之凝 |
読み方 | くまのこり |
時代 | 古代日本 |
主君 | 忍熊王 |
コメント | 日本書紀に歌が残る |
熊之凝は日本書紀に登場する人物です。
神功皇后と忍熊王は宇治で戦いますが、熊之凝は忍熊王に味方しました。
熊之凝は忍熊王の先陣となり、見方を鼓舞する歌を歌っており、これが日本書紀に残っています。
結果としては、忍熊王は武内宿禰らに敗れていますが、熊之凝を見る限りでは武勇に優れた者だったのでしょう。
戦闘らしい戦闘が起きなかったのは、熊之凝に取って見れば無念の出来事だった様にも感じています。
今回は忍熊王に仕え先陣となり、歌まで詠み味方を鼓舞した熊之凝を解説します。
先陣を任される
仲哀天皇が崩御すると神功皇后は新羅遠征を行い日本に帰還すると、応神天皇を出産しました。
仲哀天皇が亡くなる時に、応神天皇が生まれていなかった事で、兄の忍熊王と香坂王は不満であり、神功皇后や武内宿禰らと敵対する事になります。
神功皇后と忍熊王の軍が宇治で対峙し、この時に熊之凝は忍熊王の陣営にいました。
忍熊王は軍を進め神功皇后の軍と戦おうとしますが、この時に先陣を務めたのが熊之凝です。
熊之凝に関しては、どの様な人物だったのかの詳細は伝わっていませんが、先陣を任される辺りは武勇に自信があったのでしょう。
戦いの歌
先陣を任された熊之凝は、味方の軍を鼓舞する為に、次の歌を詠みました。
※日本書紀 全現代語訳 著者・宇治谷孟子 197頁より
彼方の疎林の松原を進んで行って、槻弓に鏑矢をつがえ、貴人は貴人同士、親友は親友どうし、さあ戦おう。我々は。
武内朝臣の腹の中には、小石が詰まっているはずがない。
さあ戦おうわれわれは。
上記の歌が日本書紀に記載されており、熊之凝は敵軍を戦って破ろうとしたわけです。
日本書紀では熊之凝の歌が詠まれた事だけが記載されており、この歌で味方の士気が上がったなどは書かれてはいません。
しかし、この後に武内宿禰が策略を使い忍熊王を破っている事から、熊之凝の軍の士気が高く「まともにぶつかるのは危険だ」と考えた可能性は十分にある様に感じています。
忍熊王は武内宿禰の策略に引っ掛かり武装解除しますが、この時に熊之凝がどの様に思ったのかも記述がないです。
熊之凝の様な人物であれば、武装解除には反対した可能性もある様に感じます。
結果として忍熊王の軍は武将解除した所を、武内宿禰に攻撃され壊走しました。
熊之凝は歌を詠みやる気十分だったのにも関わらず、敗走するなど拍子抜けしてしまった様にも感じています。
戦いに敗れた忍熊王は命を落としますが、熊之凝に関する記述は、ここで途絶えており、どの様な最後を迎えたかなど一切不明です。