名前 | 中臣烏賊津 |
読み方 | なかとみのいかつ |
コメント | 審神者になった記録がある |
中臣烏賊津は日本書紀の第九巻で登場する人物です。
中臣烏賊津使主の名前で呼ばれる事も多いと言えます。
神功皇后に命じられ中臣烏賊津は審神者(さにわ)になったと記述があります。
中臣烏賊津使主は神の言葉を聞き祀った事で、神功皇后の熊襲討伐を成功に導いたとみる事も出来るはずです。
尚、允恭天皇の時代にも中臣烏賊津の名前が見えますが、これは同姓同名の別人だと考えられています。
因みに、中臣烏賊津は大化の改新で有名な中臣鎌足の祖先となります。
日本には審神者神社があり中臣烏賊津が祀られています。
名前 | 審神者神社 |
住所 | 福岡県糟屋郡久山町山田660 |
審神者
仲哀天皇が香椎宮で急死すると、後継者は神功皇后のお腹に中にいる応神天皇となりました。
日本書紀での仲哀天皇は神の意に逆らい新羅を討たず、熊襲を討ち勝つ事が出来ず、発病し亡くなっています。
神功皇后は摂政となり政治を行いますが、仲哀天皇の崩御を中臣烏賊津らに命じ秘匿し宮中を守らせています。
神功皇后は吉日を選び斎宮に入り自らが神主となりました。
武内宿禰が琴を弾く事となり、中臣烏賊津を審神者としています。
審神者とは神託を聞いて意味を解釈する人を指します。
神功皇后、武内宿禰、中臣烏賊津らで神の意向を訪ねる事になったわけです。
神との対話
審神者の中臣烏賊津は、次の様に問いました。
※現代語訳 日本書紀 宇治谷孟著書 187頁より
中臣烏賊津「先の日に天皇に教えられたのはどこの神でしょう。
その御名を知りたいのですが」
中臣烏賊津は神の名を聞いたわけですが、7日目に漸く答えが返ってきました。
伊勢の国の度会の県の五十鈴の宮においでになる。名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
さらに、中臣烏賊津は神に訪ねます。
中臣烏賊津「この神の他にまだ神がおいでになるでしょうか」
中臣烏賊津が問うと「形に現れた吾は、尾田の吾田節の淡郡にいる神だ」と答えました。
中臣烏賊津は「他に神がいますか」と問うと「天事代虚事代玉籖入彦厳之事代主神がある」と答えました。
ここで中臣烏賊津は「他にはまだありますか」と聞くと、神は分からないと答え、「また後で言われる事があるでしょうか」と問います。
神は「日向国の橘の水底にいて海藻の様に若々しく、生命に満ちている表筒男、中筒男、底筒男の神がいる」と答えました。
表筒男、中筒男、底筒男が住吉三神となります。
中臣烏賊津は「まだありますか」とさらに、神に問うと神も返答に困ったのか「あるのか分からない」と答えました。
日本書紀だとここで、「遂にまだ神がある」とは言わなかったとあり、中臣烏賊津が祀るべき神を全て聞き出した事になります。
中臣烏賊津が聞き出した神を全て祀り、神功皇后が鴨別に命じて熊襲を討つと、直ぐに服従したとあります。
神の言葉を聞いて熊襲を破る等は、神話的な要素が強いとも感じますが、中臣烏賊津の功績は極めて大きいと言えるでしょう。