室町時代 鎌倉幕府

六条有光は従二位にまで出世していた。

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宮下悠史

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名前六条有光
読み方ろくじょうありみつ
生没年不明
時代鎌倉時代ー南北朝時代
コメント従二位にまで出世した

六条有光は六条有忠の子であり、弟には千種忠顕がいます。

六条有光は大覚寺統の邦良親王に仕えた事が分かっています。

弟の千種忠顕が博打や酒を好んだ話があり勘当されていますが、六条有光はその様な話は無く六条家の第四代の当主となっています。

建武の新政が始まると弟の千種忠顕の方が出世しますが、千種忠顕は南北朝時代が始まる前に戦死してしまい、六条有光は以後も生き続ける事になります。

最終的には従二位にまでなっており弟よりも出世したと言えそうです。

邦良親王に仕える

六条有光は1319年に正五位下に叙任された事が分かっています。

この時の六条有光は10歳にも満たぬ様な年齢でしたが、朝廷から官職を貰っていたわけです。

六条有光は朝廷から子供ながらに官爵を貰っており、凄いと思うかも知れませんが、北畠顕家は僅か従五位上となっており、六条家の家柄で考えても当然の結果だとも言えます。

ここから六条有光は出世を重ね1326年には春宮当年御給により、従四位上に叙任されました。

ここで注目したいのが春宮当年御給の「御給」という言葉であり、御給とは院・女院や東宮など公家の位階昇進を推薦する権利を指します。

この時の東宮は皇太子の邦良親王であり、この事から六条有光は邦良親王に仕えていた事は間違いないでしょう。

大覚寺統の嫡流とも言える後二条天皇の子で、本来なら天皇になるはずだった邦良親王に仕えたわけです。

六条有光と千種忠顕

六条有光の弟が千種忠顕であり、千種忠顕は後醍醐天皇に接近しました。

大覚寺統では後宇多法皇、後醍醐天皇、皇太子の邦良親王の流れが出来ていましたが、後醍醐天皇と邦良親王の関係は極めて悪かったわけです。

花園上皇の日記にも後醍醐天皇と邦良親王が仲違いした事が記録されています。

邦良親王に仕えた六条有忠と六条有光に対し弟の千種忠顕は後醍醐天皇に仕えています。

これは見方によれば関ヶ原の真田家の様に真田昌幸、幸村が西軍に味方し、徳川家康の東軍に真田信之が味方したのと似てる様に思うかも知れません。

しかし、後醍醐天皇に仕えた千種忠顕を六条有忠は勘当しており、本気で「気に食わぬ奴」と思っていた可能性が高い様に感じています。

尚、当時の人は150年続いた鎌倉幕府が、ここで滅びるとは思ってもいなかったのではないでしょうか。

弟と立場が逆転

千種忠顕は後醍醐天皇に従い足利尊氏らと共に六波羅探題を滅ぼしました。

千種忠顕は出来損ないの息子だと思われていた節がありますが、倒幕の大功臣となってしまったわけです。

後醍醐天皇による建武の新政が始まりますが、後醍醐天皇は光厳天皇の即位と、それに伴う公家の昇進などを無効としました。

六条有光は光厳天皇により従三位に叙任されていましたが、無効とされ正四位となります。

千種忠顕は従三位となっており、ここにおいて六条有光と千種忠顕の序列は逆転してしまったわけです。

さらに、千種忠顕は多くの土地を持ち回りが顰蹙を買う程の派手な生活をしており、権勢において六条有光は弟に及ばない状態になりました。

弟の千種忠顕は三木一草と呼ばれる後醍醐天皇の寵臣にまでなっています。

しかし、千種忠顕は建武政権では思った様に活躍出来ず、足利尊氏との雲母坂の戦いで命を落としました。

それに対し六条有光は観応の擾乱以降も生き抜いてた事が分かっています。

尚、邦良親王の子である康仁親王や邦世親王は大覚寺統でありながらも、後醍醐天皇に従わず京都に残っており、六条有光も吉野に行かず京都に残ったと考える事が出来ます。

1346年には従二位にまでなっており、出世したと言えるでしょう。

ただし、北朝の光明天皇が即位した時に八尺瓊勾玉を落す失態を侵しており参議を退いた逸話も残っています。

1358年に六条有光は出家した話があり、足利義詮の時代まで生きたと考える事が出来ます。

六条有光には弟の千種忠顕の様な武勲はありませんが、20歳くらいで亡くなった千種忠顕に比べると長生きした事は間違いありません。

尚、六条有光が何年に亡くなったのかはイマイチ分かってはいません。

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