名前 | 少将局 |
生没年 | 生年不明ー1358年 |
時代 | 南北朝時代 |
コメント | 新田義興の愛妾 |
少将局は南北朝時代の女性であり、新田義興の愛妾となります。
鎌倉府の足利基氏と畠山国清は竹沢右京亮に新田義興の暗殺を任せますが、近づく為に使われた女性が少将局となります。
少将局は新田義興の愛妾となりますが、夢のお告げを利用し、竹沢右京亮や江戸遠江守の野望を阻止しました。
しかし、事の内容がバレてしまい少将局は世をさる事になります。
少将局は新田義興の最後を彩る女性とも言えるでしょう。
少将局の話は太平記にも記載されている状態です。
少将局と新田義興
南北朝時代に足利基氏と畠山国清は、新田義興を始末しようと考えました。
新田義興は新田義貞の子であり、求心力があった事で、鎌倉府では警戒していたわけです。
足利基氏と畠山国清は竹沢右京亮を使って、新田義興を始末してしまおうと考えました。
竹沢右京亮は江戸遠江守と共に新田義興に近づきますが、この時に美人女性を使っています。
竹沢右京亮と江戸遠江守は新田義興の為に宴会を開きますが、何人もの美女も連れて来ており、この中の一人が少将局だったわけです。
少将局は16歳くらいの年頃だったと伝わっています。
新田義興は少将局の事が気に入り、この時から少将局が新田義興の愛妾となります。
太平記でも竹沢右京亮と江戸遠江守は不審がられており、女官少将を差し出し、新田義興の興味を引いた話が掲載されています。
少将局の夢
少将局は無事に新田義興の愛妾となりましたが、少将局は新田義興に惹かれる様になっていきました。
竹沢右京亮と江戸遠江守は新田義興を外に出て刺殺しようと考えますが、この企みを少将局は知っていたわけです。
少将局は新田義興を助けるためにあえて「悪い夢を見た。七日間は外出しないように」と新田義興に釘を刺しました。
竹沢右京亮と江戸遠江守は新田義興を酒宴に呼び寄せ、兵を潜ませ殺害するつもりでした。
新田義興も少将局の言葉を信じ、七日間外出せず、これにより命を長らえる事が出来たわけです。
少将局の最後
少将局は新田義興を救いましたが、これに激怒したのが竹沢右京亮と江戸遠江守です。
新田義興を宴席に誘っても来ず、少将局が邪魔をしている事に気付きます。
竹沢らは少将局を殺害してしまいました。
太平記にも「少将の夢告に邪魔されて、彼女を刺殺した」と書かれています。
少将局は亡くなり遺骸は棄てられますが、少将を憐れむ人々が女塚として祀りました。
女塚のあった場所に八幡宮が移動し、現在の女塚神社となっています。
女塚神社の主祭神は誉田別命(応神天皇)ですが、一緒に少将局も祀られている事になるでしょう。
名前 | 住所 | 電話番号 |
女塚神社 | 東京都大田区西蒲田6-22-1 | 03-3738-4902 |