習温は呉の大公平となった人物です。
習温の父親は習珍であり、樊伷と共に異民族をけしかけ劉備に帰順しようとしています。
樊伷と習珍は潘濬に斬られますが、習温は呉に仕える事になったのでしょう。
習温は大公平をしていた時に、潘濬の子である潘秘を高く評価した話があります。
潘家は習温の仇とも言えますが、習温を見ていると習家に対する恨みは一切感じません。
今回は呉の大公平となった習温を解説します。
尚、習温の子として習宇がいます。
習珍の死
習温の父親である習珍は潘濬と共に、関羽に仕えていた様ですが、関羽は樊城の戦いで破れ、麦城に逃亡しますが、孫権に捕らえられて処刑されています。
この時に習珍や潘濬は、呉に仕える事となります。
しかし、荊州の中には劉備を慕い蜀に帰順しようとする勢力がいたわけです。
これが樊伷や習珍であり武陵郡の異民族と共に、劉備に帰順しようとしました。
習珍が劉備に帰順しようとしていた時に、習温が何をしていたのかは不明です。
樊伷や習珍は、孫権の命を受けた潘濬により斬られました。
習温の親の仇は潘濬だったわけです。
呉の淩統は父親・淩操の仇である甘寧が許せず、命を狙い続けた話があります。
しかし、習温の行動を見るに、潘濬や潘秘に対する因縁の様なものは一切感じません。
習温が潘家を恨まなかった理由
習温が習珍の仇である潘濬や潘家を恨まなかった理由ですが、習温や潘濬の性格による所が大きいと思いました。
潘濬は非常に胆力があり、筋が通った人物です。
潘濬が習温に対し、次の様な評価をした話があります。
「習温がきっと我が郷里の人物評価の中心になるであろう」
潘濬は習温の人物選定眼に対し、高く評価しました。
潘濬は投降者の隠蕃と息子の潘翥が仲良くしている話を聞くと、隠蕃と縁を切る様に潘翥に手紙を送り、百叩きの刑も受ける様にと述べた事があります。
潘濬は曲がった事が大嫌いな人物だったわけです。
潘濬の習温に対する評価を見ると、習温は個人的な私怨よりも実際の能力を正当に評価し伝える人物だと考えた様に思います。
それ故に潘濬は習温を「人物評価の中心になる」と述べた様に感じました。
さらに言えば、潘濬は孫権に信頼されており「自分が習温には然るべき役職に就ける。それが呉の為だ」と思っていたのかも知れません。
習温の父親である習珍を斬ったのは、潘濬ですが習温に対しては、かなり面倒を見みたのでしょう。
尚、潘翥と隠蕃の話の中で、潘翥には賢者と交わるべきとあり、この賢者が習温の様な人材を指すのだと感じました。
潘秘を高く評価する
習温は潘濬が思った通りに出世し、呉の大公平となっています。
大公平は後に中正と呼ばれる様になる役職であり、郷里の人材を見極めて朝廷に推挙する役職です。
潘濬が死去した後に子の潘秘が、習温を訪ねた話があります。
潘秘は習温に「貴方の後継者は誰が相応しいか」と問うと、習温は潘秘の名前を挙げました。
潘秘も習温と同様に公正な人物だと判断したのでしょう。
尚、習温の後継者は潘秘となり公平となりました。