靳允は正史三国志の程昱伝に登場する人物です。
陳宮や張超が呂布を兗州に招き入れ反旗を翻した時に、靳允は程昱の説得を受け呂布に味方する事はしませんでした。
この時の曹操は兗州において、荀彧、程昱、夏侯惇などは残りましたが、多くの者が敵対し非常に難しい状態だったわけです。
飢饉もあり曹操と呂布は一時停戦となり、最終的に曹操が勝利しましたが、靳允が呂布に味方していたら、曹操は滅んでいた可能性もあります。
それを考えると、程昱の説得と靳允の決断が歴史を変えたとも言えます。
尚、三国志演義で程昱が徐庶の母親を利用し徐庶を呼び寄せる話がありますが、徐衆の三国評の中に靳允と徐庶の事を対比させて述べている部分があります。
個人的には徐衆の評の中に劉備と徐庶の名前が出ており、連想して羅貫中が創造したのが、三国志演義の程昱、徐庶、母親の話なのではないか?とも感じました。
今回は正史三国志に登場し、実在した人物であろう靳允を解説します。
程昱の説得
曹操が徐州の陶謙への遠征中に、陳宮、張邈、張超らが呂布を盟主として招き入れ曹操に反旗を翻しました。
この時に、陳宮が自ら兵を率いて東阿を攻撃し、氾嶷が范を取る手はずとなっていたわけです。
この話を聞くと人々は震えあがりますが、荀彧は程昱と相談し、人民を慰撫する事にしました。
程昱は范に向かい靳允には、次の様に説得したわけです。
※正史三国志 程昱伝より
程昱「私は、貴方(靳允)の母、弟、妻子らを呂布が捕えたと聞き知った。
孝子の貴方としては心配している事でしょう。
現在の天下は乱れており、英雄が次々に旗揚げしている状態です。
必ずや一世に秀でた人物で天下の動乱を鎮める者が出ます。
これは智者であれば誰なのか分かる事であり、主君を正しく見極めた者が繁栄し選べなかった者は滅びます。
陳宮は謀反を起こし呂布を招き入れ百城が呼応しましたが、私が見るに呂布は粗暴な性格で匹夫の勇を持っているだけです。
陳宮らは成り行きで協力しただけであり、主君を補佐する事は出来ないでしょう。
これでは兵の数が幾ら多くても成功するはずがありません。
曹使君(曹操)は天下に稀な知略を持ち、多分、天から下された方でございます。
貴方が范を固く守り私が東阿を堅守すれば、戦国時代の田単の功績を立てる事が出来るのです。
忠節を外れ悪に味方するのと、母子ともに滅亡するのとでは、どちらがよいか考えてみるべきでしょう。
特に、この事は考慮して頂きたい」
程昱の話を聞き終わると、靳允は涙を流し「私が二心を抱く事はありません」と回答しました。
靳允が涙を流す辺りは苦悩の中に身を置いていたという事なのでしょう。
靳允は曹操への支持を決めますが、この時に氾嶷が近くまで来ていたので、靳允は面会し兵を隠しておき氾嶷を討ち取りました。
靳允が氾嶷を討った時点で、呂布は靳允の家族を処刑してしまったと考えられます。
氾嶷を討った靳允は城に戻り防備を固めました。
曹操は後に呂布を破りますが、この時は絶体絶命とも言える程の危機に陥っており、仮に靳允が味方しなければ滅んでいた可能性もあるはずです。
それを考えれば、靳允の決断が歴史を変えたと思いました。
尚、程昱が靳允に述べた田単は戦国時代の名将であり、燕の楽毅に奪われた70余りの城を奪い返した人物です。
徐衆の評
靳允の一族を犠牲にして、曹操を選んだ選択を批判したのが徐衆の評です。
徐衆は靳允と曹操の関係は君臣とは言えなかったと述べ、それに比べ母親は最も近しき人だったと指摘しました。
道義から行って徐衆は范を去るのが当然だと考えたわけです。
楚漢戦争の時に王陵の母親が項羽に捕らえられた時を例に出し、母親は劉邦こそが天下統一する人物だと考えて、自ら命を絶ち王陵の気持を固めたと述べています。
徐衆は心に引っ掛かりが無くなり始めて、人に仕える事が出来て忠誠を全うできると考えたわけです。
さらに、徐衆は斉の桓公に仕えて気に入られた衛の開方は斉に仕え何年も故郷に帰りませんでしたが、斉の管仲は親を想わない人物が君主を愛せるのか?と考え、自分の後継者に相応しくないとしたと述べています。
徐衆は孝の精神から忠節が誕生するとも考えており、靳允は程昱の説得に応じ曹操に味方するのではなく、最も近しき母親や一族を救うべきだったと考えたわけです。
徐衆は靳允と対比する事例として、長坂の戦いの時に徐庶の母親が曹操に捕らえられ、劉備は徐庶を去らせた例を挙げています。
徐衆は天下を治めようとする人物は、人の子の愛情を考えるものであり、曹操も靳允を母親や一族の所に帰らせるべきだったと述べています。
ただし、個人的には、この時の曹操は支配地域の9割に背かれており、少数であっても味方は欲しかったと考えられ、忠孝と言っていられる様な状態ではなかったはずです。
靳允は確かに親を見殺しにしてしまった部分もあるかと思いますが、個人的にはその選択の全てが間違っていたとは思いません。