古代朝鮮 百済

久氐(くてい)は使者としての役目を果たす

2023年8月17日

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宮下悠史

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名前久氐(くてい)
所属百済
主君近肖古王
登場日本書紀

久氐は日本書紀に登場する百済人です。

近肖古王は久氐、弥州流、莫古の3名を卓淳国に向かわせ、倭国と国交を結ぼうとしました。

しかし、久氐らは倭国が海の向こうにある事を知り、諦めて帰国しています。

後に倭国の使者である爾波移が百済に訪れた事で、久氐、弥州流、莫古らは再び倭国への使者となりました。

新羅と百済は貢物を届ける約束をしていましたが、百済の貢物の質が悪く久氐が理由を訴え、これが原因で神功皇后は新羅遠征を決定しました。

久氐が使者として役目を果たした事で、百済と倭国は長く共闘関係にいたとも言えるはずです。

倭国への使者

神功皇后の44年に百済の近肖古王は、倭国と国交を結ぶために久氐、弥州流、莫古を派遣しました。

当時の中国は五胡十六国時代の戦乱でしたが前秦が北方を統一し、高句麗は前秦と同盟を結び百済に圧力を掛けて来たわけです。

近肖古王としては、高句麗に対抗する為に倭国の助けが欲しく久氐らを派遣したのでしょう。

久氐らは朝鮮半島の南方にある卓淳国まで行き、末錦旱岐と面会する所までは行きましたが、大船がないと倭国に行けない事を知り百済に戻りました。

しかし、2年ほどが経過すると、今度は倭国の斯摩宿禰が卓淳国を訪れ、配下の爾波移を百済に派遣しています。

これにより倭国と百済の国交が樹立するきっかけとなります。

百済の近肖古王は倭国の使者を喜び久氐、弥州流、莫古を倭国に派遣しました。

貢物が少ない理由

久氐は弥州流や莫古と共に倭国に到着しました。

この時に、新羅の使いも一緒に来たとあります。

久氐らが来日すると神功皇后と誉田別尊(後の応神天皇)は非常に喜びました。

新羅と百済は貢物を持参しましたが、新羅の貢物は珍奇な品が多くあったのに対し、百済の貢物は貧相だったわけです。

神功皇后が久氐に貢物が少なく質が悪い理由を問うと、久氐は次の様に答えました。

※日本書紀より

久氐「私たちは道に迷って新羅に行ってしまいました。

新羅人達は私たちを捕えると牢に入れ、三カ月が経過した頃に殺害しようとしたのです。

ここで私たちが天を呪うと、新羅人達は呪いを恐れ処刑を取りやめる事にしました。

しかし、新羅の人々は私たちの貢物を奪い取り、自分の国の貢物としてしまったのです。

元々新羅の貢物は卑しいものでしたが、私たちの貢物と取り替えました。

そして、新羅の人々は私たちに『この事を漏らせばお前たちの命はない」と脅したのです。

私らは恐怖で従い、こうして日本に着く事が出来ました」

久氐は百済の貢物の質が悪いのは、百済に奪われたからだと述べたわけです。

神功皇后と応神天皇は新羅の使者を責めて占いをし、武内宿禰と千熊長彦に対処する様に命じました。

この後に、日本側の荒田別と鹿我別が将軍となり百済を攻撃し、この軍に久氐も加わる事になります。

さらに、木羅斤資、沙沙奴跪の軍に近肖古王や百済太子の貴須(近仇首王)の軍も合流し、新羅に大勝しました。

百済の近肖古王は倭国への使者として好んで久氐を使っており、久氐は日本と百済の橋渡し的な存在になったと言えるでしょう。

近肖古王の時代の百済の外交窓口は久氐だったわけです。

多沙城

神功皇后の50年に久氐は、千熊長彦と共に倭国にやってきました。

神功皇后は久氐に「何の為にやってきたのか」と問うと、久氐は次の様に答えています。

※日本書紀より

久氐「帝の恵は遠国まで響いています。

我が王は抑えきれぬほどの喜びに満ちています。

それで倭国から還る使者と共に訪れ、誠心を表しているのです。

我等は万世に至るまで朝貢を怠る事はしません」

久氐は百済が朝貢を続ける事を約束し、神功皇后は多沙城を百済に与えました。

久氐は言葉一つで城を一つ得たと言えるでしょう。

この時の久氐の働きは極めて大きいと言えそうです。

久氐が得た多沙城は往還の道の駅としたとあり、倭国と百済の中継地点となったのでしょう。

因みに、久氐は神功皇后の51年にも朝貢の為に倭国を訪れ、神功皇后は応神天皇や武内宿禰に喜びの言葉を伝えています。

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