名前 | 持衰 |
読み方 | じすい |
登場 | 正史三国志など |
コメント | 倭人が中国に行く時に行う儀式の様なもの |
持衰は正史三国志の東夷伝の中にある魏志倭人伝の記述の中にある儀式です。
倭人が中国に行って帰る時に行う儀式が持衰となっています。
持衰の内容に関しては、大体の事が魏志倭人伝に書かれています。
3世紀では海を渡るのも命がけであり、中国に行くものも一種の斎戒を行う必要があると人々が考えたのでしょう。
持衰に選ばれた者は問題も起こらずに帰ってくれば、褒美を与えられますが、旅の途中で何かしらの問題があれば持衰になった者は処刑されてしまいます。
それを考えると、持衰はかなりギャンブル要素が強く運任せだったとも言えます。
今回は魏志倭人伝に登場する倭人の旅の無事を祈願する儀式ともとれる持衰を解説します。。
持衰とは
魏志倭人伝によると、倭人が中国に行く場合は、いつも一人の者を選び、髪型も整えず、しらみも取らなかったと言います。
さらに、衣服は汚れたままとし、肉も食べず夫人も近づけないなど、一種の自然に戻ったかのような禁欲生活を一人の者に行わせたとあります。
選ばれた者は喪中の人に様にさせたとあり、欲を棄てるかの如く行動をかなり制限されたようです。
これを持衰を呼びますが、禊を行う様な意味があり、身を清めようとした結果なのでしょう。
持衰を行う場合は沐浴もしなかった様で、身なりはかなり貧しかった様に感じています。
倭国の使者の責任者が薄汚い格好をするわけにも行かないので、従者の中の一人が選ばれ持衰を行ったと考えるのが妥当でしょう。
持衰の運命
中国から無事に帰還出来た場合は、皆が持衰に感謝し家財や財物を与えて歓迎されたとあります。
しかし、旅の途中で疫病が発生したり、何らかの理由により困難な事態となれば、人々は持衰になった者を殺害したとあります。
当時の倭人の考えとしては、旅が上手く行かなかったのは、持衰の行動が慎み深くなかったからだと、持衰に責任を擦り付けたわけです。
それを考えると、持衰は一種の人柱の様なものだったのでしょう。
持衰を見ると、本人の意思や努力とは関係なく場合によっては、処罰されてしまう事から身分の低い者が持衰になったとも考えられています。
自分から進んで持衰になろうと考える人は余りにも刹那的であり、基本的には無理やり指名されやらされたのが実情だと感じました。
魏志倭人伝には倭人が旅に出る時や特別な事を実行する時に、骨を焼くなどして占った話があり、この占いの一つが持衰に繋がるのでしょう。