名前 | 広田遺跡 |
住人 | 広田人 |
時代 | 弥生時代、古墳時代 |
コメント | 侏儒国だった可能性がある |
広田遺跡は種子島南部にある遺跡です。
広田遺跡からは低身長の人骨が発見されており話題になっています。
広田遺跡は弥生時代には既に存在した事が分かっており、魏志倭人伝に登場する小人の国である侏儒国だったのではないか?とも考えられています。
邪馬台国論争は終わってはいませんが、邪馬台国の位置が北九州にあったとするならば、広田遺跡の場所が侏儒国であってもおかしくはないでしょう。
広田遺跡の墓地からは様々な発見があり、当時の生活様式も分かってきました。
今回は鹿児島県の種子島にある広田遺跡を解説します。
海岸の砂丘から発見
広田遺跡は海岸の砂丘から発見されました。
広田遺跡は弥生時代の後期から、古墳時代にかけて建造された集団墓地の跡でもあります。
この集団墓地から人骨が発見されて話題になりました。
広田遺跡の発掘調査を行うと、150体以上の人骨と4万点を超える貝制の装身具が副葬品として見つかる事になります。
広田遺跡の文化に関しては南島文化に近いとも言えますが、独自の文化も見受けられました。
頭が扁平
広田遺跡から出土した人骨を調べてみると、頭が扁平(絶壁頭)になっており抜歯もしている事が分かりました。
頭を扁平にするのは、無理やり頭の形を変える事でもあります。
正史三国志の魏志韓伝には、次の一文があります。
※魏志韓伝より
辰韓では子供が生まれると、直ぐに石で頭を抑えつけ扁平にしようとする。
現在の辰韓の人々はみなの頭が扁平である。
広田遺跡の広田人だけではなく、朝鮮半島の辰韓の人々も頭が扁平だったとする記述があるわけです。
辰韓って、後に新羅へと変貌していくわけですが、新羅と広田人との間に関係があったのかは分かっていません。
それでも、新羅王の脱解は倭国の多婆那出身だとありますが、同様に広田遺跡とも何かしらの関わり合いがあった可能性は残っている様に感じています。
抜歯
広田遺跡では人骨から抜歯がしてある事が分かりました。
日本でも縄文時代に抜歯が行われており、成人の儀や結婚、再婚、葬式など人生の節目において抜歯が行われたと考えられています。
現在も抜歯を行う風習が国によっては残っている状態です。
成人式で抜歯を行う理由ですが、激痛に耐えてこそ一人前としたり、体の苦痛に耐えてこそ、外からの災害を防止する事が出来るとする考えで行われる事が多いです。
広田遺跡のいた広田人がどの様な理由で抜歯をしていたのかは不明ですが、何らかの儀式により抜歯を行った可能性が高いと言えるでしょう。
尚、抜歯の儀式を行っている事から、古代人の方が現代人よりも痛みに強かったり我慢強かったのではないか?とも考えられています。
小人
先に侏儒国が種子島だとする説があると述べましたが、最大の理由は、広田遺跡の広田人が同じ時代の九州の人々よりも平均身長が低かった事が大きいと言えます。
広田人の平均身長が男性で平均154センチ、女性で143センチしかなかった事が発掘された人骨から分かっています。
九州では男性の平均身長が163センチ、女性が153センチだとされているから、広田人は九州の人々よりも10センチほど身長が低かった事になるでしょう。
広田遺跡の住人に身長が低かった人が多かった事を考えると、小人の国と言われてもおかしくはないはずです。
広田人がなぜ背が伸びなかったのか?ですが、縄文時代の大噴火である鬼界カルデラと関係しているとする説があります。
鬼界カルデラの大噴火により、火山灰が地面につもり、農作物のミネラルが不足し亜鉛の摂取量が少ない事から「低身長」になってしまったと考えるわけです。
ただし、海からは牡蠣が摂取できるはずであり、牡蠣には多くの亜鉛が含有されていますが、この辺りの関係は不明となります。
広田遺跡の住人である広田人が九州の人々に比べて、なぜ身長が伸びなかったのは現時点では、よく分からない状態です。