古代日本

侏儒国は謎多き小人の国

2023年11月11日

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宮下悠史

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名前侏儒国
読み方しゅじゅこく
登場魏志倭人伝
コメント小人の国

侏儒国は正史三国志の魏志倭人伝に登場する小人の国です。

侏儒国の所在地に関しては正確には分かってはいませんが、種子島や四国だと考える人が多いと言えます。

種子島の広田遺跡からは、低身長の人骨が見つかっており侏儒国だったのではないか?ともされています。

他にも、鹿児島県を中心とするシラス台地の土壌が原因で、ミネラル不足に陥り低身長になってしまった説も存在し、侏儒国は鹿児島の山間部だったともされている状態です。

しかし、魏志倭人伝の記述は邪馬台国も含めて大雑把であり、侏儒国の場所の特定はしにくい状態だと言えます。

尚、侏儒というのは小人を指す言葉でもあり、侏儒国の人々が自らの事を「侏儒」と名乗ってはいなかったのではないか?とも考えられています。

侏儒国の名前は邪馬台国や近辺の商業地帯で、小柄な人を見かけ名付けた様にも感じました。

ただし、種子島を侏儒国だとすれば種子の文字は「しゅし」と読む事も出来る為、侏儒国の事だと読み取る事も出来る状態です。

侏儒国の位置は何処なのか?

魏志倭人伝を見ると最初に邪馬台国へのルートが書かれており、その後に北方の国々が記載されています。

倭人の風習などの紹介をした後に、倭国大乱と卑弥呼が共立された話に続きます。

その後に、女王国から一千里の海を渡った所に倭種がいると記載された後に、次の記述が存在します。

※魏志倭人伝より

さらに、その南に侏儒国があり、そこに住んでいる者は身の丈が三、四尺、女王国から四千余里の距離がある。

上記の記述から侏儒国には身長が低い人が住んでおり、女王国から南に四千余里離れた場所にある事が分かるはずです。

普通に読めば侏儒国は邪馬台国九州説に従えば九州南部や種子島、沖縄などの島の事を指す様に見え、近畿説で言えば侏儒国が小笠原諸島という事にもなってしまうのでしょう。

魏志倭人伝では侏儒国の次に裸国と黒歯国が記載されており、船で1年掛かるとも記録されています。

侏儒国はともかくとして、裸国や黒歯国になると特定は非常に難しいと言えます。

尚、侏儒国に関しては魏の使節団が侏儒国に訪れたのではなく、倭国の人間に聞いたのを記載したと考えるべきでしょう。

伊都国や奴国の辺りは交易で栄えていた事が分かっており、小柄な集団を見た魏の使節団が、倭人に聞いてみたら「侏儒国の人間」という回答が返って来た様にも感じました。

侏儒国は種子島なのか

低身長の人骨

侏儒国は種子島ではないか?とする説があります。

邪馬台国九州説に従い邪馬台国の位置が九州にあったとしたら、北九州から南に進むわけであり種子島でも問題ないと言えるでしょう。

邪馬台国阿波徳島説でも種子島が侏儒国となっています。

種子島には広田遺跡があり、集団墓地からは人骨が150体以上も見つかっています。

広田遺跡の人骨の特徴として、頭が扁平(絶壁頭)で身長が男性で平均154センチ、女性で143センチと小柄です。

当時の九州北部では身長が男性で163センチ、女性が153センチとなっており、広田人の方が10センチ程低い事が分かっています。

広田遺跡で身長が低い人骨が発見された事で、侏儒国は種子島だったのではないか?とも考えられるわけです。

種子島が種子国(しゅしこく)と呼ばれていたとしたら、侏儒国と名前が近い事になり、侏儒国が種子島だとする可能性は高まる事でしょう。

広田遺跡の社会

広田遺跡は身分に関係なく埋葬されていた様であり、貧富の差は少なかったのではないか?とも考えられています。

北九州の吉野ケ里遺跡の甕棺墓から、ゴホウラやイモガイの貝輪を着けた人骨が発見されています。

ゴホウラなどは沖縄の方まで行かないと生息しておらず、南方の国々と北九州の間で交易があった事は確実でしょう。

それを考えると、沖縄の人々が種子島までやってきて、種子島にある侏儒国の人が奴国などの交易都市まで持っていったとも考えられるはずです。

逆を言えば、邪馬台国の人が侏儒国まで買いに行った可能性もあります。

交易により北九州の人々は侏儒国の存在を知っていた事だけは間違いない様に感じました。

尚、種子島には広田遺跡ミュージアムが存在します。

広田遺跡ミュージアム鹿児島県熊毛郡南種子町平山2571番地0997-24-4811

九州南部の山間部

低身長で考えた場合に、侏儒国が薩摩を中心とする九州南部の山岳地帯の民族だったのではないか?とする説が存在します。

鹿児島の南には海底火山である鬼界カルデラが存在しています。

鬼界カルデラは紀元前5000年よりも少し前位に大噴火を興した事も分かっています。

鬼界カルデラの威力は凄まじく火山灰は東北にまで達しました。

種子島の近辺では噴火が多く火砕流などによりシラス台地が形成されます。

このシラス台地と侏儒国が関係しているとされています。

シラス台地は、火山灰が積って出来た場所を指し、鹿児島県では50パーセントほどがシラス台地となっています。

シラス台地の特徴ですが、地面がスカスカになっている事もあり、非常に水はけがよい土壌です。

シラス台地は水はけがよい事から水田稲作には向きません。

シラス台地で水田をやろうとしても、水がどんどん地面に吸い込まれてしまい水田を作るのが困難なわけです。

シラス台地では稲作は行われず、畑作と鶏や豚などの畜産が活発となったのは必然だと言えるでしょう。

鹿児島の辺りではさつまいもなどを栽培し、名前も薩摩イモとなっています。

繰り返しますが、種子島や南九州も噴火の影響で火山灰が降り積もり、シラス台地が形成されました。

このシラス台地が人間を低身長にさせたとするのが、侏儒国が鹿児島の山間部にあったとする説となります。

シラス台地は水はけがよいだけではなく、酸性でありミネラルが消失しやすい土壌です。

土壌の関係から、シラス台地の作物はミネラルが不足しやすいと言えるでしょう。

人間は亜鉛を含まない作物ばかりを食べていると「亜鉛欠乏症低身長症」を発症してしまう事が分かっています。

ミネラルが少ない地域での亜鉛不足により、シラス台地で暮らす人々は集団で低身長になったと考える事が出来るわけです。

亜鉛不足により細胞分裂が阻害され、低身長になってしまう事が分かっています。

実際に南九州の古墳の調査を行ったところ、低身長の人骨が見つかりました。

侏儒国が小人の国であれば、亜鉛不足による低身長化を引き起こしたと考える事が出来るわけです。

侏儒国を考える上で山間部が低身長と言うのは、一つのポイントになります。

南九州であっても海辺の近くに住んでいた者は、海産物の牡蠣を食べていた事で低身長にならなくて済んだとする見解もあるわけです。

牡蠣は亜鉛を含む代表的な食材ですから、亜鉛の欠乏を防ぐ事が出来ると考えられるわけです。

ただし、種子島の広田遺跡の低身長の人骨に関しては、不明な部分もあります。

種子島は海に囲まれており、牡蠣を食べる事も可能だったはずですが、何故か低身長となっています。

この辺りは謎だと言えるでしょう。

小笠原諸島が侏儒国だったのか!?

邪馬台国近畿説で考えた場合に、邪馬台国の南にある侏儒国は小笠原諸島ではないか?と考える人もいるのかも知れません。

小笠原諸島の北硫黄島には石野遺跡があります。

北硫黄島は現在は無人島になっていますが、過去には人が住んでいました。

石野遺跡からは無紋土器などが発掘され、土器の一部が八丈島の湯浜遺跡と類似している事から話題になった事もあります。

しかし、年代測定を行った結果として石野遺跡は1世紀頃のもので、八丈島の湯浜遺跡は6000年の前の事だと分かりました。

年代測定法が間違っていない限りは、時代は大きく離れているって事ですよね。

それでも、現時点では小笠原諸島が侏儒国だと言うのは無理がある様に感じています。

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