名前 | 剛京(ごうけい) |
登場 | キングダム |
コメント | 南朝の長官となる |
画像 | キングダム |
剛京は漫画キングダムに登場する架空の人物です。
騰らにより韓の南陽が無血開城すると、秦の朝廷は剛京を南陽の長官として送り込みました。
最初に剛京を見た読者は「傲慢な奴」「いけ好かない」と思った人も多いのではないでしょうか。
剛京は法家であり法律により南陽を治めようとし、騰とも対立しました。
南陽で問題があれば容赦なく法律を適用し刑罰を与えますが、秦人が問題を起こしても同様に罰しています。
剛京の「法の下には平等」という思想を知った時には、多くの方々が「好感が持てる」と考えたのではないでしょうか。
それと同時に剛京の有能さをみた人も多いはずです。
剛京が南陽に到着
騰は南陽を治めていた龍安は人望がある事に着目し、用いる事にしています。
南陽で騰は秦と韓の旗を立て、穏便な統治を目指しました。
ここで秦の中央から派遣された剛京が到着する事になります。
剛京は南陽の民に厳しくあたり「秦は厳格な法治国家」と述べ、秦の役人に従う様に告げました。
さらに、逆らえば処罰し”斬首”もあると脅しています。
騰は「柔能く剛を制す」の統治をしようとしますが、剛京は一方的な法による厳格な統治を望んだと言えるでしょう。
騰が考案した城に、秦と韓の両方の旗を掲げるのもやめさせる様に述べています。
最初に剛京を見た感想は多くの人が「嫌な奴」だったのではないでしょうか。
実際に中国では過度に法律を適用し出世しようとする者もおり、酷吏と呼びます。
因みに、史記には酷吏列伝なるものまで存在しています。
剛京を初めてみた時は酷吏で、最後は信か騰に成敗されると思った人もいるのではないかとも感じています。
剛京と騰の対立
剛京は前城主の龍安を処刑する様に命令しました。
剛京は「龍安が秦に対する戦争行為」を行ったとして、処刑する様に命じたわけです。
龍安は南陽を無血開城しましたが、その前に南陽の兵や物資を韓の首都・新鄭に送っており、これを問題視しています。
ここで騰が反論しました。
しかし、剛京は「侵略されて恨みを抱かない人間などいない」「反乱には拠り所となる存在(龍安)がある」「反乱が起きれば多くの血が流れる」などの理由を述べました。
剛京は「虚しい流血を阻止するために、龍安の首をはねておく」と纏めています。
龍安は人望があり韓の人々は焦り、録嗚未は「その長官はおかしな事は言っていない」と告げました。
しかし、騰は龍安を処刑するつもりはなく、龍安を処刑しようとする者は、この場で首を刎ねると引かなかったわけです。
この時の剛京は秦の中央から南陽を任された長官であり、騰は秦の六大将軍の一人となっています。
騰の部下である隆国が割って入り、咸陽の朝廷に報告し「六将と地方長官」のどちらが上なのかをはっきりとすべきだと告げました。
剛京の不満
秦の朝廷では騰の発言に従う様にという決定が為されました。
ここで剛京の部下は「南陽を治める為に 我々がどれだけ 計画を練り準備をしてきたことか・・・」と憤りました。
剛京自身も「「綺麗事では落とした城は治まらん」「やられた側の心情を甘く見過ぎた」「我々は騰将軍らが根を上げるまで静観するだけだ」と不貞腐れた様な感じになっています。
しかし、騰は剛京に責務を全うする様に指示し、理想郷となる様に邁進する様にと述べ「頼む」と頭を下げました。
剛京は難易度の高さを問題視しますが、騰は軍の方でも協力する様に申し入れています。
法に従う剛京
剛京は南陽にあって容赦なく秦の法律を適用しました。
南陽で害盗を行った者には、斬左趾の支持をしています。
斬左趾は左足を切断する重い刑罰です。
龍安は猛反対しますが、剛京は容赦なく刑を執行させました。
秦は恵文王の時代に商鞅が国を法治国家に変身させていますが、韓は中原の地にあり「徳」による政治を理想としていたわけです。
こうした考え方の違いを南陽城で描いたのが、このシーンなのでしょう。
龍安は「温情」を求めますが、剛京は「下らぬ」と述べ「南陽は法家(我々)が塗り替える」とも言い放っています。
さらに「悔しかったら新鄭より軍を呼び助けてもらえ」と余計な一言まで言いました。
韓の人々は陰で反発しますが、龍安は「我らが剛京長官のやり方に慣れて行くしかない」と理解を示しています。
ここまでの剛京は明らかに嫌な奴でした。
剛京の真骨頂
ここで南陽の民(呂仁)が騰の兵士を刃物で刺す事件が起きました。
秦の兵士は南陽の住民に暴行し、止めようとした父親が秦兵の反撃を受け惨殺された事件でした。
普通に考えれば、女性に暴行を行い止めに入った父親が殺害されたわけであり、一番悪いのは秦兵になります。
南陽の民は龍安に呂仁を助ける様に嘆願しました。
付近には馬に乗った剛京もいましたが、多くの者達は秦兵を刺した事を問題視し、呂仁が処刑されると思っていました。
ここで、剛京は斬首する様に命じています。
剛京が処刑する様に命令したのは、狼藉を行った秦の兵士の方でした。
韓の人々は剛京が秦の兵士をためらわずに処刑した事に驚いたわけです。
韓の民たちは秦兵が処刑された事で「呂仁・呂春、仇は取られたぞ」と泣いて喜びました。
驚いた龍安は剛京に話しかけますが、剛京は「あの男は女を犯して父を殺した。故に死罪」と言い放っています。
さらに、次の様に述べています。
剛京「法の下に韓人か秦人か一般人か武人かなど一切関係ない。等しく平等なのだ」
この言葉を聞いて剛京の評価がうなぎ上りになった人は多いのではないでしょうか。
剛京は法により「秦兵を処罰したのであり、当然の事をしたまで」と言った所なのでしょう。
剛京の思想は「法の下では等しく平等」でした。
法家の面目躍如でもあったはずです。
私情を挟まない剛京の見事な判断でもあります。
さらに、剛京は被害に遭った家族へは手厚く謝罪金を出す様に指示し、秦の末端の兵士まで軍律を徹底させる様に指示しました。
読者の方々も南陽の長官は剛京に任せておけば大丈夫と思った人も多い事でしょう。