
| 名前 | 生口 |
| 登場 | 後漢書、魏志倭人伝など |
| コメント | 一般的には奴隷だと考えられている。 |
生口は魏志倭人伝や後漢書に登場する倭国から、中華王朝へ渡った人を指します。
一般的には生口は奴隷だったのではないかと考えられています。
しかし、生口の正体は奴隷ではなく、倭国の技術者だったのではないかとする説もあります。
他にも、生口が原因で邪馬台国が滅亡した説もあり、古代倭国を考える上で重要な存在でもあるのでしょう。
尚、瀬戸内海には生口島があり、生口と関係しているのではないか?とする説があります。
倭王師升と生口
生口の話が最初に出て来たのは、後漢書にある倭王師升が160人の生口を献じた事に始まります。
師升は後漢の安帝に朝貢貿易を行ったと見られますが、生口の160人を献上し、他の物は記載がありません。
一つの説として当時の倭国には、中国を喜ばす様な特産品が無く、160人の奴隷を貢物として捧げたとも考えられています。
日本には奴婢の制度は根付きませんでしたが、生口が奴隷であれば、古代日本には奴婢の様な存在がいた事になるでしょう。
それか、倭国内の民を捕らえて生口として魏に送ったとも考えられますが、どうやって師升が160人もの生口を用意したのかは定かではありません。
魏志倭人伝と生口
司馬懿が遼東公孫氏を滅ぼすと、邪馬台国の卑弥呼が朝貢を行いました。
魏志倭人伝によると、卑弥呼は魏の曹叡への貢物として、様々な物品の他に男性の生口4人、女性の生口を6人を献上したと記録されています。
倭王師升の生口160人に比べると、男女合わせて10人の生口しか献上しておらず、規模が小さくなった事が分かるはずです。
しかし、代わりに倭国の特産物を献上しており、倭国内でも中華王朝に献上できる特産物が育ったともみる事も出来ます。
卑弥呼の後継者の台与も紀元前248年に、規模を大きくした30人の生口を献上したとあります。
台与も生口を魏に献上するのを継続したと言ってもよいでしょう。
生口は技術者だった説
生口は奴隷ではなく技術者だったのではないか?とする説があります。
魏は倭国に比べて圧倒的に人口が多く、卑弥呼が10人の奴隷を献上したからと言って喜ばれるのか?とする話です。
魏の皇帝を喜ばせるには、奴隷ではなく技術者だったのではないかとも考えられています。
魏志倭人伝を見ると倭人は和弓を使っていたなど、中華の人々から見れば、独特なものが多く、これらを作る為の技術者が生口の正体だったとする説もあるという事です。
生口島の存在
瀬戸内海の広島よりの地域に、生口島があります。
文字通り島なのですが、生口の名前が付けられている事が分かるはずです。
現在の所、生口島がなぜ「生口島」と呼ばれているのかはよく分かっていません。
しかし、一つの説として、中華王朝に生口として送られた人々は、生口島に一旦入り、ここから魏に送られたとするものがあります。
生口島と生口の話は単なる伝承なのか、真実なのかは不明ですが、生口島の住人が技術者であり、楠を使った造船の技術を魏に伝えたのではないか?と考える専門家もいる様です。
生口島と生口が、何処まで関係しているのかは不明としか言いようがありません。
生口が理由で邪馬台国が滅んだ説
邪馬台国が生口が原因で滅んだとする説があります。
生口が奴隷であれば、邪馬台国の卑弥呼や台与が奴隷貿易を行っていた事になるでしょう。
生口と呼ばれる奴隷になった人々は倭国の人間であり、非人道的な行為と倭国内で見られた可能性が指摘されています。
邪馬台国に味方すれば、自国の民が生口(奴隷)として中国に送られる可能性があり、邪馬台国の求心力が低下した説です。
邪馬台国九州説で多く言われる話ですが、九州にあった邪馬台国は奴隷貿易で支持を得られなくなり、代わりに近畿の大和王権が支持される様になりました。
空白の150年の間に、大和王権が九州の邪馬台国を滅ぼしたとも考える説でもあります。