古代オリエント

サンムラマトの時代から政府高官が力を持ったのか

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宮下悠史

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名前サンムラマト
生没年紀元前850年ー紀元前798年
摂政紀元前811年ー紀元前808年
一族配偶者:シャムシ・アダド5世 子:アダド・ニラリ3世
コメントセミラミスのモデルになったと考えられる

サンムラマトはアッシリアのシャムシ・アダド5世の妻にして、アダド・ニラリ3世の母親でもあります。

ギリシア神話のセミラミスのモデルとも考えられており、後世の歴史に及ぼした影響は高いと言えるでしょう。

しかし、サンムラマトの時代から、アッシリアの王権が低下し、代わりに政府高官の権力が強くなり国が停滞したともされています。

サンムラマトが摂政となった統治期間は傀儡ではなかったとも考えられていますが、この頃からアッシリアの王権が弱くなった事は間違いなさそうです。

女王「サンムラマト」の摂政政治と実力行使

​紀元前811年にシャムシ・アダド5世が没すると、後継者である「アダド・ニラリ3世」がまだ幼少であったため、その母親である王妃「サンムラマト(Sammuramat)」が政治の実権を握ることになります。

​サンムラマトは約5年間にわたって実質的な最高権力者(摂政)として君臨し、幼い息子を伴って自ら前線への軍事遠征を主導するなど、極めて精力的な統治を行いました。

当時のオリエント世界において、女性が国家の全軍を率いて指揮を執るということは異例の事態であり、彼女の圧倒的な政治的手腕とカリスマ性は、後世のギリシャ神話に登場する伝説の戦王「セミラミス」のモデルになったと言われるほど、国際的に強い衝撃を与えました。

一部においては、「彼女は単なるお飾りであり、実務は大半の男性高官が主導していたのではないか」という極めて限定的な見方がなされることもありました。

しかし、近年の碑文の再検証や考古学的証拠(聖地アッシュルに王たちと並んで彼女の記念碑が建立されている事実など)によると、彼女は決して傀儡ではなく、

当時の激しい権力闘争の中で自ら強力なリーダーシップを発揮し、国家の軍や行政を主体的にコントロールしていた有力な統治者であったことが判明しています。

​地方分権化のリスクと「政府高官の肥大化」

​しかし、このサンムラマトの時代を契機として、アッシリアの国家構造には徐々に「王権の低下」という深刻な地政学リスクが浸透し始めます。

​長引いた内乱や幼少の王の擁立が続いた結果、中央の王権を補佐していた「政府高官(高級官僚や総督)」たちの権限が不自然に肥大化していったのです。

彼らは王の要請を待つことなく、自らの主導で軍事遠征を計画・執行するほどの強大な私兵・財政力を保有するようになっていきました。

​その後、アダド・ニラリ3世が長成して実権を掌握して以降も、一度肥大化した政府高官や地方総督たちの権力構造を抑え込むことはできませんでした。

サンムラマトも時代から王権の衰弱の兆しがあったのかも知れません。

王権による統制を失った地方の総督たちが勝手に独自の政治を始め、周辺の属国や諸地域が次々と帝国から離反・独立していったことにより、
アッシリアはこれまでの興隆から一転して、約80年間におよぶ深刻な「国家の停滞期(弱体化)」へと突き落とされることになるのです。

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