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恵帝(劉盈)は心優しき前漢の二代目皇帝

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宮下悠史

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名前恵帝(孝恵帝)
本名劉盈(りゅうえい)
生没年前210年ー前188年
在位前195年ー前188年
国前漢
一族父:劉邦 母:呂雉 姉:魯元公主
配偶者:張皇后 子:劉恭、劉弘?
異母兄弟:劉肥、劉如意、劉恒(文帝)、劉恢、劉友、劉建、劉長
コメント優しい性格をした前漢の二代目皇帝

恵帝は劉邦と呂雉(呂后)の子で、劉邦が漢王になると太子に立てられました。

後に劉邦は劉如意を後継者にしようとし廃位されそうになりますが、張良の策により事なきを得ています。

恵帝の時代は呂后の時代でもあり、母親の呂后が実権を握りました。

呂后は劉如意や劉肥ら劉邦の子を害しようとしますが、恵帝は彼らを守るような行動をしています。

心優しき皇帝が恵帝だと言えるでしょう。

恵帝を見ていると、晋の申生や秦の扶蘇に似ていると思った人も多いのではないでしょうか。

彼らは晋の献公や始皇帝への孝の精神が強かったわけですが、恵帝の優しさは自分の異母兄弟たちに向けられたと言えるでしょう。

しかし、皇帝としての役目は恵帝にとっては過酷だったのか、23歳の若さで崩御しました。

劉盈と楚漢戦争

劉盈は劉邦と呂雉の間に出来た子で、姉に魯元公主がいます。

漢書によると恵帝が5歳の時に、劉邦が漢王になったとあります。

この2年後に、劉盈は太子として立ったとあります。

楚漢戦争の時代に劉邦は項羽を相手に苦しい立場となり、時には同じ車に乗っていた魯元公主と劉盈を放り出し、逃亡しようとした事もありました。

しかし、夏侯嬰が諫めた事で再び魯元公主と劉盈は、車に乗せられて逃亡しています。

普通で考えれば劉邦の行動は、かなり酷いと言えますが、劉盈が劉邦に対し恨みを抱いたなどの記録はありません。

後継者争いを制す

劉邦は項羽を破り勝利しました。

しかし、その後も戦いが続き匈奴、黥布、陳豨らと戦い負傷し体調が悪化すると、戚夫人が生んだ三男の劉如意を後継者にしようと考える様になります。

劉盈は太子の位を廃されそうになったわけです。

心配した呂后が張良に相談した結果として、東園公、甪里先生、綺里季、夏黄公らの賢者を招き寄せる事に成功しました。

これらの人材は劉邦であっても、招聘する事が出来ずにいたものであり、劉邦は驚いたわけです。

東園公らは劉邦の粗暴さを嫌ったわけですが、劉盈であれば雑な扱いもされず、招聘に応じたのでしょう。

劉盈は「柔弱」「仁弱」「情弱」とも評価されたりもしていますが、人の気分が害する様な行いをする人物ではなく、清廉潔白な人物には受けがよかったのでしょう。

劉邦は劉盈の覇気のなさなどを問題視したようではありますが、逆を言えば劉邦では扱えない人物を扱う事が出来たと言えます。

劉邦は自らの後継者を劉盈に決定しました。

尚、後の事を考えると劉盈は後継者争いで戦った劉如意の事を恨んではおらず、呂后と戚夫人が勝手に争っているだけと思っていたのかも知れません。

垂簾聴政

劉邦が崩御すると劉盈が皇帝となり、これが前漢の恵帝です。

恵帝は皇帝にはなりましたが、まだ10代の半ばであり経験不足の為か、呂后が政治を行う事になります。

恵帝の時代に宰相として蕭何、曹参、王陵、陳平といましたが、政治の中心にいたのは呂后です。

既に劉邦の時代から呂后が政治を行っていましたが、引き続き呂后が政治を行ったのでしょう。

呂后は臨朝称制を行いました。

朝廷では恵帝が群臣らの前におり決議しますが、帳の裏には呂后がおり、呂后が喋った事を恵帝が喋るという政治形態だったとも考えられています。

これが垂簾聴政であり、中華王朝ではよく見られる光景です。

尚、曹参が酒ばかり飲んでおり政治をみようとしない事に対し、恵帝は子の曹窋を派遣し諫言させますが、曹窋は鞭打たれ恵帝は曹参の話を聞いて納得した話があります。

恵帝の時代は秦末期や楚漢戦争で疲弊した国を休ませる期間であり、前漢の政府は積極的に庶民に介入を行わなかったわけです。

政敵を守る

恵帝と劉如意

呂后は恵帝の地位を盤石にする為には、政敵の排除が必要だと考えていました。

最大の政敵と考えられたのが、戚夫人の子で後継者の座を争った劉如意でした。

呂后は戚夫人を幽閉し、周昌を呼び出した上で、劉如意を呼び出したわけです。

劉如意は長安に向かう事になりますが、呂后は劉如意の命を狙っており、恵帝は劉如意の身を案じ覇上にまで迎えに行きました。

宮中に入ると側を離れず、起居飲食を共にしたと言います。

恵帝は自分と一緒であれば、呂后は手を出さないと知っていたのでしょう。

それと同時に、恵帝が劉如意を政敵として命を奪う事にも反対だった事が分かるはずです。

恵帝の優しさが最大限発揮されたのが、劉如意への態度でもありました。

数カ月して恵帝は早朝から狩りに行こうとしますが、劉如意は幼く起きなかったので、寝かせたまま狩りに出かけてしまいました。

この隙に呂后は毒を飲ませ劉如意を殺害し、戚夫人には人彘事件と呼ばれる惨劇を起こしています。

呂后は便所に捨てられ人豚と呼んだ戚夫人を、恵帝に見せる事になります。

恵帝は衝撃を受け嘆き悲しみ病気となり、1年以上も起きる事が出来なかったと言います。

それでも、政敵である劉如意と戚夫人を葬り去り、恵帝の権威は固まって行く事になります。

劉肥を屈服させる

恵帝の2年に斉王の劉肥が入朝しました。

劉肥は劉邦が庶民だった頃の外妾の曹氏の子であり、恵帝の異母兄にあたる人物です。

宴席となりますが、ここで恵帝は劉肥に上座を譲り自らは弟して、謙遜して接しました。

恵帝が劉肥に上座を譲った理由ですが、家の中の事として対処しようとしたからでしょう。

公の場では恵帝は皇帝であり、斉王の劉肥は下の立場となります。

しかし、家族で考えれば、劉肥は兄であり、恵帝は弟として下風に甘んじたとみる事が出来ます。

これを見た呂后は激怒したとあります。

恵帝が下風に立たされる姿を人々が見れば、野心家の中には劉肥を担ぐものが現れ、恵帝の権力が揺らぐと考えたのでしょう。

呂后は2杯の酒の中に毒を混入させ、劉肥に飲ませようとしました。

劉肥は立ちあがって飲もうとしますが、恵帝も立ち上がり飲み合おうとした事で、呂后は急いで杯をこぼさせたとあります。

劉肥は異変に気付き酔った振りをして場を去り、城陽郡を魯元公主に割譲しました。

呂后は喜び劉肥は屈服したとみなされ許されたわけです。

やり方は強引に思えるかも知れませんが、この時点で恵帝や呂后の権力を脅かすものはいなくなったと言えます。

呂后も恵帝が崩御するまで、残虐な行いはしなかったわけです。

尚、恵帝は前191年に姪の張皇后を妻として迎えていますが、外戚を入れたくない呂后の配慮があったのでしょう。

恵帝の最期

恵帝は呂后による戚夫人への人豚事件で、体調を崩し、それが尾を引き亡くなったとも考えられています。

しかし、実際には戚夫人が亡くなってから、数年が経過しており、人豚事件も本当にあったのかは分かりません。

ただし、恵帝は優しい性格をしており、権力闘争が行われる朝廷は、かなりの気苦労があったのではないでしょうか。

劉邦は恵帝をリーダーとしての適性がないと見ていた様にも感じますが、優しすぎて朝廷での労苦に耐えられないと見たのかも知れません。

漢書によると、恵帝の7年に二度の皆既日食の記録があり、この後に、次の記述が存在します。

※漢書より

秋八月戌寅、帝は未央宮で崩御した。

九月辛丑の日、安陵に葬った。

恵帝は紀元前188年に世を去り、この時に23歳だったと伝わっています。

23歳は若すぎる年齢であり、母親の呂后よりも先に亡くなりました。

呂后は恵帝が崩御しても涙を見せませんでしたが、陳平らが張辟彊の策により呂氏の権力を重くした事で、呂后も涙を見せました。

息子の死を呂后も悲しんだと言えるでしょう。

恵帝が崩御すると劉恭が即位しますが、恵帝と妾の間に出来た子であり、張皇后の子ではないと考えられています。

恵帝の評価

漢書の班固は恵帝を次の様に評価しました。

※漢書恵帝紀(ちくま学芸文庫漢書1・95頁)より

孝恵帝は内に親(一族)を親愛する道を修め、外に宰相を礼遇し、斉の悼恵王、趙の隠王を寵愛し、恩愛と恭敬に篤かった。

叔孫通の諫言を聞けば瞿然として畏れ、曹相国の対えを採納して心に悦ぶなど、寛大仁慈の人主というべきである。

呂太后のため帝の至徳が欠損されるような運命に立ち至ったのは、何と悲しいことか。

班固は恵帝の身内への慈愛を評価しつつも、身内を排除しようとする呂后の行動を残念がったと言えるでしょう。

恵帝は身内に対し優しく慈愛を見せましたが、呂后は恵帝の政敵になるであろう者を排除し、その行動には相いれないものがあり、方向性の違いから恵帝が病んだ部分も多々あったと言えそうです。

恵帝の目指したものは、身内が協力し助け合って行う政治だったのではないでしょうか。

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