程郁は劉璋配下で、巴西太守の龐羲に仕えた人物です。
龐羲が讒言を受け乱を起こそうとした時に、部下の程郁に命じ程畿を説得に行かせた話があります。
しかし、程畿は忠義の人であり、息子である程郁の言葉に耳を貸す事はありませんでした。
この時に、程郁は父親の程畿に仕える者の心構えを諭されています。
今回は龐羲に仕え程畿に、人としての心構えを諭された程郁を解説します。
尚、程郁の兄弟に程祁がおり、優れた人物だったと伝わっています。
龐羲の使者となる
程郁は巴西太守の龐羲に仕えた話があります。
龐羲は劉焉の孫である劉循や劉闡を救った事があり、劉璋は龐羲に恩を感じ巴西太守となります。
張魯と劉璋が敵対している中で、龐羲は再前線とも言える巴西太守となったわけです。
巴西太守の龐羲は多くの兵士を集め出す事となります。
龐羲としてみれば、張魯対策として兵を集めたつもりだった様なのですが、讒言もあり劉璋は龐羲を疑いました。
龐羲は劉璋に疑われている事を知ると、反乱を計画する事になります。
龐羲は程畿を仲間に引き入れようと考えます。
この時に、龐羲の部下として程畿の子である程郁がいました。
龐羲は程郁に命じ乱を起こすから、程畿が自分の味方になる様に要請したわけです。
程畿の考え
程郁は程畿の元に向かいました。
しかし、父親の程畿は一筋縄で行くような人物ではなかったわけです。
程郁は程畿に龐羲が讒言され、劉璋に反旗を翻すから味方になる様に要請した事を知らせます。
程畿は程郁の言葉に対し「兵士を集めたのは、劉璋に反乱するのが目的ではなかったはずだ」と述べます。
龐羲がやるべき事は誠意を以って接する事だと、程郁に述べました。
程郁も程畿に言われてしまうと、言い返す事が出来なかったのでしょう。
程畿に諭される
ここで程畿は、程郁に対し次の様に述べています。
程畿「儂は州から恩を受けているのだから、州の牧に対し忠誠を誓うのは当然の事である。
お前は郡の役人なのだから、太守の為に忠誠を誓い励まなければならない。
私の為に二心を抱く事をしてはならぬ。」
程畿は息子である程郁に対し、自分は龐羲が乱を起こしても加担する事はないと宣言したわけです。
さらに、程畿は程郁に「自分の為に、龐羲を裏切る事があってはならぬ」と述べた事にもなるでしょう。
程郁は程畿を説得する事が出来ず、さらには程畿の元に留まる事も出来なくなったはずです。
程郁は龐羲の元に戻ると、程畿の事を伝えますが、龐羲は納得しませんでした。
龐羲は程畿に別の者を派遣し「自分に従わなければお前の一族(程郁、程祁)に災いが降りかかる」と述べましたが、程畿は従いませんでした。
龐羲は程畿に何をやっても味方にする事が出来ないと悟り、劉璋に詫びを入れ許された話があります。
この話は程畿の忠義と有能さを現わす話になるのでしょう。
これを最後に程郁の記録は途切れており、程郁が劉備の入蜀まで生きていたのかは不明です。
尚、程郁の最後がどの様なものだったのかも分かっていません。