司馬季主という人物が史記に登場します。
史記の日者列伝は、司馬季主を中心に書かれていますが、司馬季主は政治家でも軍人でもありません。
単なる街の占い師なわけです。
それでも、史記の列伝の中では、1巻を丸々と司馬季主の為に使っています。
日者列伝というのは、司馬遷が漢の武帝により宮刑にあった事などから、司馬遷が本当に言いたい事だったとしか思えません。
出世する事だけが全てだとは言えないと感じ取ったのでしょう。
司馬季主の話しは出世する事の危険性をも教えてくれます。
流石に、現代では責任を取って殺されてしまう事はありませんが、思い当たる節がある人もいるかも知れません。
宗忠と賈誼が主張する賢者とは
日者列伝は、宗忠・賈誼(かぎ)と司馬季主(占い師)の話しで出来上がっています。
宗忠・賈誼は役人として、中大夫や博士となり出世していたわけです。
二人はある日、休みがあったので易経(占いの本)についての話をしていました。
そこで議論となり、占いについて詳しく知りたくなり易者(司馬季主)の元を訪れたわけです。
司馬季主は、単なる街の占い師であり皇帝直属の卜筮を行う占い師ではありません。
しかし、二人は司馬季主と話してみると見識が高く、優れた能力を持っているような感じがして感服してしまったわけです。
宗忠と賈誼は、ある事が気になります。
司馬季主は見識が高く高い能力を持っているのに、なんで易者(占い師)のような卑しい身分になっているのか?という疑問です。
実際に、司馬季主に訪ねてみたのですが、逆に宗忠と賈誼に、どのような人物が賢者だと思うのか聞かれたわけです。
すると、宗忠及び賈誼は、位が高く俸禄(給料)が高い人物を賢者と呼ぶと答えています。
それに対して、司馬季主は笑ってしまったそうです。
司馬季主のいう優れた人物とは
司馬季主は、宗忠と賈誼のいう優れた人物というのは、世を乱していると言います。
現在の世で位が高く俸禄を多く貰っている者たちは、農民から搾り取るだけ搾り取り、主君が間違った事を言っても正そうとしない。
さらに、自分の利益ばかり得る事を考えているし、悪人同士で徒党を組み派閥を作りあげて国を動かそうとしている
私生活では美女と宴会に夢中になり、狩猟に明け暮れている。
外敵が現れたとしても、これらの臣下では対処する事も出来ない。
これが賢者と言えるのだろうか?と問うたわけです。
本当に優れた人物と言うのは、主君が間違った事を言えば3度諫めて、それでも聞き入れられなければ身を引くもの。
人によい事をしても礼を求めないし、悪人を正す時も、恨まれる事を憂慮しない。
不正を見つければ貴人であっても、屈する事はない。
例え高い位に就いたとしても喜ぶ事はないし、去ったとしてもガッカリする事もない
自分が罪を受けても、自分が悪い事をしていないのであれば恥じる事もしない。
こういう人物を賢者と呼ぶと、司馬季主は言うわけです。
さらに、老子や荘子、春秋戦国時代に覇者となった越王句践の話しなどを用いて話したわけです。
高位に就く危険性と易者の素晴らしさ
さらに、司馬季主は高位に昇る事の危険性を言います。
高位に昇ってしまうと、失敗すると命を落とす事が多いと言うわけです。
実際に、漢の時代であっても、韓信、黥布、彭越などは王位に就く事になりましたが、劉邦の粛清により死亡しています。
春秋戦国時代であっても、趙の李牧や廉頗は郭開の讒言により、他国に亡命したり誅殺されたりもしています。
高位に昇った為に、殺されてしまった人は歴史上で大変多いわけです。
それに比べて、易者という仕事は人々の悩みを聞き、心の不安を取り除く素晴らしい仕事だと言うわけです。
易者のお陰で病気が治った人もいるし、自信を無くしている人が自信を持ってくれた人もいる。
人々の悩みを聞き心を良い方に向かわせると考えれば、これほど良い仕事はないというわけです。
易者は人々の役に立つ場合が多く、素晴らしい仕事だと言います。
宗忠と賈誼の言葉
宗忠と賈誼ですが、司馬季主の話しを聞いているうちに自分を見失ってしまいました。
そして、道を究めた人ほど安全で権勢が高くなるほど危険だと言う事を悟ったようです。
我々がいる場所は非常に危険な場所だ。国の為に献策を立てて失敗すれば責任を取らなければならない。
さらに、周りに足を引っ張られてしまう可能性もある。
君主の機嫌を損なえれば、命を落とす事だって十分に考えられる。
それに比べて、易者という仕事は占いが違っていたとしても「金を返せ」と言われた話は聞いた事がない。
我々とは大違いだ。
しかし、宗忠と賈誼は司馬季主にはなれなかったようです。
宗忠は、匈奴へ使者に行きましたが、任務を全うする事が出来ずに刑罰を受けています。
賈誼は、梁の懐王の「もり役」となりますが、懐王が落馬して死ぬと絶食し、痛心と悔恨に責められてなくなったとあります。
司馬遷は、宗忠と賈誼は「世の華やかさに目を奪われて命を落とした」と司馬遷は評しています。
日者列伝で司馬遷が言いたかったこと
国の為に功績を立てたわけでもない無名の易者に対して、史記で司馬遷は列伝を1つ割いているわけです。
史記の列伝は70巻ありますが、その67番目に位置しています。
列伝の最後の方になってしまうわけですが、司馬遷が言いたかった事が詰っていると思いました。
司馬遷は、李陵を庇った事で武帝の怒りを買ってしまい宮刑となっています。
周りの大臣達も武帝を恐れて、誰もフォローしてくれませんでした。
さらに、司馬遷も武帝と話が出来るほどの高位にいたわけですが、危険性を身をもって知ったわけです。
韓非子のいう逆鱗に触れるなどの事を味わってしまいました。
司馬季主の話しは、自分のようにならない為の話しにも聞こえるわけです。
出世するばかりが能じゃない事を教えてくれます。
歴史と言うと、軍人が政治家ばかりが目に着きますが、司馬季主のような話を聞くのも素晴らしい事だと思いました。