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陳容は主君に殉じた烈士

2023年1月24日

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宮下悠史

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名前陳容(ちんよう)
生没年生年不明ー196年
時代三国志、後漢末期
主君臧洪
画像亶夏王朝

陳容は徐州広陵郡の人であり、臧洪とは同郷です。

陳容は正史三国志だと臧洪伝に記述があり、実績を見ると明らかに烈士と呼べる人物でしょう。

陳容は臧洪を慕っており、東郡の丞となります。

袁紹と臧洪が対立すると、陳容は臧洪と共に籠城しました。

臧洪は陳容を殺すのは惜しいと思ったのか、城を脱出させています。

陳容は袁紹の元に降りますが、臧洪が捕らえられた時には、臧洪と共に死を選びました。

今回は臧洪配下で忠義の武将とも言える陳容を解説します。

東郡の丞となる

正史三国志によると、陳容は臧洪を親の様に慕っていたとあります。

臧洪は堂々した威風を持っていた話もあり、同郷の陳容にしてみれば憧れの人だったのかも知れません。

陳容は最初は書生でしたが、臧洪の配下として東郡の丞になったとあります。

臧洪が東郡太守になったのは、劉虞への使者となり帰ってきた時に、袁紹から焦和の後任として青州を任された後です。

それを考えると、陳容も臧洪と共に北方の劉虞の元まで行ったのかも知れません。

城を脱出

臧洪の元の主君である張超は雍丘で、曹操に城を包囲されてしまいます。

袁紹と曹操は良好な関係でしたが、臧洪は元の主君である張超を救いたいと考えていました。

臧洪は袁紹に張超への援軍に行かせて欲しいと願いますが、袁紹は許さず張超は曹操により命と落とす事となります。

臧洪は袁紹に対し恨みを抱き反旗を翻し籠城しますが、この城内に陳容もいたわけです。

臧洪の軍は袁紹の軍に包囲され、食料にも窮しますが、臧洪は陳容を城の外に出す事にしました。

臧洪が陳容を城から脱出させた理由は不明ですが、陳容の人柄などを鑑みて「殺すには惜しい人物」と思ったのかも知れません。

臧洪にとってみれば、陳容は自分の意地と心中させるには惜しい人物だと思った可能性もあります。

陳容の人間性を考えると、臧洪が城から脱出させようとしても、かなり拒んだのではないかと感じました。

しかし、陳容は城を出て袁紹の陣営に入る事となります。

陳容は袁紹に降伏したとも言えるでしょう。

陳容の最後

臧洪は奮戦しますが、城は落城し臧洪は捕虜となります。

臧洪は袁紹の前に引き立てられますが、この時に袁紹は陳容に同席する様に命じました。

袁紹は臧洪を用いようとしますが、臧洪は袁紹を恨んでおり、配下になろうとはしなかったわけです。

袁紹は臧洪が自分の為に働く気がない事を悟ると、臧洪を処刑する事を決定しました。

この時に、陳容は突如として立ち上がり、袁紹に次の様に述べています。

※正史三国志 臧洪伝より

陳容器「将軍(袁紹)は大事業を興し、天下の為に無法者を除き去るおつもりのはずです。

それなのに、これから処刑しようとする人は忠義の人です。

これは天の意思と合致するとは思えません。

臧洪が事を起こしたのは郡将の為なのです。

どうして臧洪を殺すのでしょうか」

陳容は袁紹に臧洪を処刑しない様に進言しました。

しかし、袁紹は陳容の言葉を無視し、臧洪を処刑しようと行動に移し、陳容には次の様に述べています。

袁紹「お前は臧洪の仲間でもないのに、なんでそんな態度を取るのだ」

袁紹は臧洪の処刑を決断しており、処刑に反対する陳容に苛立ちを覚えたのでしょう。

陳容は臧洪の処刑は決まった事を悟り、袁紹に次の様に述べました。

陳容「仁義は特定の人の占有物ではない。

これを実行すれば君子となり、これに背けば小人となるのだ。

今の私は臧洪と共に殺される事になったとしても、将軍と同時に生きようとは思わぬ」

袁紹は陳容の言葉で頭に血が昇ったのか、陳容も臧洪と共に処刑しました。

袁紹の座にいた者達は臧洪と陳容が処刑された事を知ると、皆が溜息をつき「1日にして二人の烈士を殺してしまうとは」と嘆いた話があります。

尚、臧洪が呂布に救援の使者を派遣していましたが、使者たちは臧洪と陳容が亡くなった事を知り、敵陣に斬り込み討死した話があります。

臧洪も烈士でしたが、陳容もまた烈士であり、その配下もまた烈士が多くいたと言うべきでしょう。

臧洪と陳容や配下を見ていると「この主君にして、この配下あり」というのがよく分かります。

陳容も臧洪に負けず劣らずの烈士だったと言えるでしょう。

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