名前 | エジプト第七王朝 |
コメント | 70人の王が70日間統治したと伝わる |
エジプト第七王朝はエジプト第一中間期の最初の王朝とされる事が多いです。
ただし、エジプト第七王朝の首都がメンフィスにあったとされている事から、エジプト古王国時代に分類される事もあります。
エジプト第七王朝はエジプトで最初の混乱の時代とも言われ、飢饉が多発し民衆は飢えに苦しんだ時代でもあります。
マネトの記述によればエジプト第七王朝は、70人の王が70日間の統治を行ったとする記述もあります。
しかし、マネトの記述を鵜呑みにしている人は殆どいないのが現状です。
エジプト第七王朝はファラオの権力の低下などもあり、建造物も出てこない状態となっており、分かっている事が非常に少ないです。
70人の王
エジプト第七王朝を語る上でキーポイントになるのが、マネトのエジプト史にある70人の王が70日間に渡って統治したという記述となるでしょう。
マネトの言葉を信じるとすれば毎日の様に王が変わり、日替わりファラオだった様な状態となってしまうはずです。
さらに、70日間でエジプト第七王朝が終焉したとすれば、1年にも満たず2カ月とちょっとでエジプト第七王朝は終わりを迎えた事になります。
一般的にはエジプト第七王朝の「70」という数字は「沢山」や「長い」などの混乱を現わす言葉であり、混沌とした時代を表現した言葉だとされている状態です。
別説としては、地方の豪族が次々に王を名乗り、その数が70だったとする説もあります。
ただし、エジプトには上エジプトと下エジプトを合わせても42のノモスしかなく、それでも「70人の王が70日~」の数字に合わせるのは困難だと感じました。
尚、マネトはプトレマイオス朝の時代の人物であり、エジプト第七王朝の時代から1500年以上も後の人であり、正確性に欠ける部分も多々あるとされています。
謎のエジプト第七王朝
先にも述べた様に、エジプト第七王朝の事で分かっている事は殆どなく、謎に包まれた王朝だとも言えます。
エジプト第七王朝の時代だとされている建築物も一切出て来ません。
エジプト第七王朝の初代ファラオはネフェルカラーだとされていますが、母親の陵墓を造営する事が出来ず、倉庫に葬った話があります。
こうした事情があれば、建造物が出てこないのも納得は出来ます。
エジプト第七王朝の前にはエジプト第六王朝があり、第六王朝の最後の王がペピ二世です。
しかし、ペピ二世とエジプト第七王朝の関係も不明であり、第六王朝から第七王朝への流れもよく分かっていはいません。
エジプト第7王朝の統治期間は6年という人もいれば、11人のファラオがいたなどの説もあり、どれが正しいのかは不明です。
9人のファラオという説もあり、専門家の間でも一致していない状態だと言えます。
ただし、気候変動によるナイル川の水位の低下により、社会は大混乱をきたし、ファラオの勢力がメンフィス周辺だけとなり、地方豪族の権力が増した事だけは専門家の間でも、大体が一致している状態です。
当時は墓泥棒がいてもファラオは取り締まる事が出来ず、墓泥棒が横行しイプエルの訓戒に見える様な悲惨な世界だったとする話もあります。
エジプト第一中間期の中でも、エジプト第七王朝の時代が最も混乱していたと考える人もいる状態です。
エジプト第一中間期の始まりであるエジプト第七王朝は、下剋上の時代の始まりだったのかも知れません。
エジプト第七王朝が終わるとエジプト第八王朝となり首都はメンフィスで変わりませんでした。
エジプト第七王朝とエジプト第八王朝の繋がりに関しても不明であり、分からない部分が多いです。