エジプト第一中間期 古代エジプト

ネフェルカラーは母親を倉庫の葬ったファラオ

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宮下悠史

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名前ネフェルカラー
時代エジプト古王国、エジプト第一中間期
勢力エジプト第七王朝
コメントエジプト第七王朝の初代ファラオ

ネフェルカラーはエジプト第七王朝の初代ファラオだと伝わっている人物です。

エジプト第七王朝はエジプト第一中間期の始まりだともされており、混乱への序曲だった時代だとも言えます。

こうした中でネフェルカラーはファラオとして即位した話がありますが、王権はガタガタでありファラオの権力は枯渇していた状態だったと伝わっています。

それを考えれば、ネフェルカラーはかなりめぐり合わせの悪い時期に、ファラオになってしまったとも言えるでしょう。

尚、ネフェルカラーは首都のメンフィスの周りの僅かな地域しか支配しておらず、資金が枯渇していた事もあり母親が亡くなった時に、陵墓が造営できず倉庫に葬った話もあります。

ネフェルカラーは第七王朝の初代ファラオだとも言われていますが、エジプト第六王朝の最後のファラオであるペピ二世との関係もよく分かっていない状態です。

エジプト史のマネトの記述によれば、エジプト第七王朝には70日間で70人の王が統治した話もあり、ネフェルカラーが本当に実在したのか分からない部分もあります。

余談ですが、エジプト第七王朝と第八王朝は首都がメンフィスにあった事で、エジプト古王国時代に入れる専門家もいます。

母親を倉庫に埋葬

ネフェルカラーは第六王朝のペピ二世と繋がっている説もあります。

エジプトが荒廃してしまったのは、一般的にはナイル川の水位が低下し氾濫が起きなくなってしまった事が原因とされています。

ペピ二世は6歳で即位し100歳まで生きたとする記録もありますが、この時代にエジプトは混乱期に入っていく事になります。

気候変動により人々が窮地に立たされた時代に、メンフィスでファラオに即位したのがネフェルカラー王だったのでしょう。

ネフェルカラーに関しては、下記の記述が存在します。

ネフェルカラー王は母親をサッカラにあるペピ2世の妃であるイプウトのピラミッド葬祭殿の倉庫に埋葬した。

この記述を見ると分かる様に、ファラオの権力は母親のお墓を作る事が出来ない程に、衰えていたと言う事です。

自然現象により苦しい状態で即位したネフェルカラーは、かなり運が悪いファラオだと感じました。

ネフェルカラーの能力のうんぬん以前に、飢饉により誰が統治しても国が治まらない様な状態でもあったのでしょう。

しかし、エジプト第七王朝の混乱はネフェルカラーだけの代では終わらず、エジプト第八王朝にまで引き継がれる事になります。

ネフェルカラーの経済政策

ネフェルカラーは母親を倉庫に葬った話がありますが、これは財政的に考えれば正解だったと言えます。

ネフェルカラーの時代はエルニーニョ現象により、ナイル川の水位の低下により食料が不足した時代です。

食糧や物資が不足し、ハイパーインフレの様な時代でもあったのでしょう。

こうした中でファラオであるネフェルカラーが母親の為に巨大な陵墓を建設してしまったら、人民は大変なことになってしまいます。

只でさえ少ない物資を民衆から奪ってしまう事になる為です。

それを考えるとネフェルカラーの行動は仁徳天皇の民の竈の話に通じるものがあり、的確な判断だったと言えるでしょう。

ただし、仁徳天皇との違いは、仁徳天皇の治世は後期では経済が上向いたのに対し、ネフェルカラーは最後まで経済が上向かなかった事です。

それでも、ネフェルカラーの場合は気候変動が大きく、経済政策が打てなかったとはいえネフェルカラーを責める事は出来ません。

母親を倉庫に葬るなど出費を抑えた辺りは評価できるのではないでしょうか。

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