周(西周、東周) 春秋戦国時代

馮旦は西周に仕えた策士

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名前馮旦(ふうたん)
生没年不明
時代春秋戦国時代
勢力西周
コメント戦国策の西周策に一度だけ名前が登場する人物

馮旦は戦国策に名前が登場する人物です。

しかし、戦国策の中の西周策の中で名前が登場する事は、一回しかなく分かっている事は殆どありません。

それでも、馮旦の策が的中し、西周の情報を東周に漏らした昌他を死に追い込む策を見せています。

平凡社から出版されている戦国策の訳によれば、馮旦は西周の策士だとあります。

しかし、個人的には馮旦は諸子百家の遊説家の可能性もある様に感じました。

今回は西周に仕えた馮旦を解説します。

尚、馮旦の話では西周と東周の事を述べていますが、この時の周王が誰だったのかや西周君、東周君が誰だったのかの記録もなく分かっていないことだらけです。

もちろん、この話が紀元前何年の話だったのかも分かっていません。

昌他が情報を漏らす

西周に仕える臣下で昌他なる人物がいました。

戦国策には昌他は宮他の名前でも登場しており、周の為に献策した記録もあり、決して愚者ではなかったはずです。

この昌他が西周から逃げて東周に行く事になります。

昌他がどの様な罪で逃げねばならなかったのかは不明です。

昌他は東周に逃げただけではなく、手土産のつもりだったのか、西周の内部情報を東周に暴露してしまいました。

昌他の行動に東周首脳部は喜びますが、バラされた西周は激怒します。

しかし、馮旦は至って冷静であり、次の様に述べています。

馮旦「奴め(昌他)を殺害してご覧に入れましょうぞ。

君は私に40斤を授けてくだされ」

馮旦が余りにも自信満々で言ったせいか、西周では馮旦に40斤を与えました。

馮旦の手紙

馮旦は40斤の金を得ると、密かに昌他に金を届けさす手筈を行い、さらに手紙には次の様に書きました。

※戦国策 周策より

昌他に告ぐ。成功する見込みがあると思うなら、もっと努力せよ。

成功する見込みがないと思えば、さっさと帰って来るように。

事が長引いてしまえば、漏れて身を滅ぼす事になるであろう。

馮旦は昌他が西周の密命を帯びて、東周に向かった体にしたわけです。

兵法でいう所の「埋伏の毒」が、昌他だったかの様に見せたという事になります。

さらに、馮旦は東周の偵吏に「今宵は不逞の輩が入りますぞ」と報告しました。

これにより偵吏は昌他に金と手紙を届けに来たものを捕え、東周に差し出しています。

東周では昌他は表面上は東周に味方したが、心は西周にあると判断されてしまいました。

東周では昌他が不埒な輩だと判断し、処刑しています、

馮旦の策は見事に成功し、最初の言葉通り昌他を討つ事に成功したわけです。

この記事を書いた人

構成・文/宮下悠史

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