
| 名前 | ハカム2世 |
| 生没年 | 915年ー976年 |
| 在位 | 961年ー976年 |
| 国 | 後ウマイヤ朝 |
| 一族 | 父:アブド・アッラフマーン3世 子:ヒシャーム2世 |
| コメント | 学問を重視し聡明王と呼ばれた。 |
ハカム2世は後ウマイヤ朝の2代目カリフとなります。
父親のアブド・アッラフマーン3世がカリフを名乗っており、ハカム2世はカリフの位を継ぎました。
ハカム2世はアルカーリを師とし、学問を重視しており「聡明王」の名でも知られています。
ハカム2世の時代に後ウマイヤ朝は全盛期を迎えました。
ただし、後継者のヒシャーム2世は幼くして即位し、死後に後ウマイヤ朝はマンスールの時代となります。
ハカム2世とアルカーリ
アブド・アッラフマーン3世の皇太子であったハカム2世の教育係には、アルメニア出身の詩人・学者アルカーリが任じられています。
彼はバグダードでは十分に評価されなかったものの、後ウマイヤ朝では高く評価され、宮廷文化の発展に寄与しました。
ハカム2世はアルカーリに多くの事を学んだのでしょう。
後ウマイヤ朝の初期の頃はバグダードの文化を尊重していましたが、この頃には独自の文化が芽生えており、これがハカム2世の教育係がアルカーリになった理由とも考えられています。
ハカム2世の文化政策と都市の繁栄
アブド・アッラフマーン3世の後を継いだハカム2世は、学問を重視する姿勢で知られ、「聡明王」と評されることがあります。
彼は各地の学者から写本を収集し、宮廷図書館の蔵書は40万冊に達したと伝えられています(数字は誇張の可能性あり)。
また、ハカム2世は土木建築にも関心を持ち、離宮の整備、市内の大モスク(現在はメスキータとして知られる)の拡張、道路網の整備などを進めました。
コルドバの大モスクは約2万3千平方メートルに達し、当時のイスラーム世界でも有数の規模でした。
こうした都市整備と経済活動の活発化により、コルドバでは商業・工業が発展し、高級皮革製品「コードバン」などの特産品も生産されました。
人口については史料に幅があり、50万人という数字は誇張とみられますが、10万人規模の都市であった可能性は高く、当時の西ヨーロッパでは最大級の都市と考えられています。
ハカム2世の最後
ハカム2世が亡くなると、ヒシャーム2世が即位しました。
この時のヒシャーム2世は11歳であり政治を行う事が出来ず、マンスールが政治を行っています。
この頃から、後ウマイヤ朝の衰退が始まったとされています。
ただし、マンスールに関しては軍事能力が高く、連年の様に遠征を続けました。
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