
| 名前 | 日暮れて道遠し |
| 時代 | 春秋戦国時代 |
| 関係人物 | 伍子胥、楚の平王、申包胥 |
| コメント | 焦る気持ちを現わした故事成語 |
日暮れて道遠しは故事成語であり、焦る気持ちを現わしたものです。
意味としては「時間は過ぎてしまったのに、まだ目標に到達出来ていない」様子を現わす故事成語となります。
日暮れて道遠しは春秋戦国時代に楚の出身で父と兄を楚の平王に殺害され、復讐の鬼と化した伍子胥に関わる故事成語です。
伍子胥は呉に仕え楚の首都の郢を陥落させましたが、楚の平王は亡くなっており、楚の平王の屍に鞭を打ち「死体に鞭打つ」の語源を作った人としても有名です。
死体に鞭を打つ伍子胥の復讐が余りにも酷いと、申包胥に避難されますが、この時に伍子胥が述べた言葉が「日暮れて道遠し」です。
伍子胥も道理に反した行いをしている事は分かっていましたが、言い訳の意味も込めて「日暮れて道遠し」と述べたのでしょう。
日暮れて道遠しの由来
伍子胥は後継者争いのもつれから、父親の伍奢と兄の伍尚を楚の平王により殺害されました。
費無忌の讒言により、伍奢と伍尚は殺害されましたが、伍子胥は楚の平王を酷く恨んだわけです。
後に伍子胥は呉王闔閭に仕え、呉は楚に大攻勢を仕掛け、楚の首都の郢を陥落させました。
この時に、楚の平王は亡くなっていましたが、伍子胥は楚の平王の墓を暴き、鞭で300回打ったといいます。
これが「死人に鞭打つ」の語源となりますが、これを聞いた伍子胥の友人の申包胥は「過去には楚の平王に仕えた身なのに、やり方が余りにも酷い」と批判しました。
申包胥に対し伍子胥は「日が暮れてしまったのに、まだまだ道は遠い。それ故に、先を急ぎ私は道理に反した行動をしてしまったのだ」と伝言して貰ったわけです。
伍子胥は日が暮れてしまったのに、道はまだ遠いと述べており、これが日暮れて道遠しの由来となっています。
伍子胥は日暮れて道遠しだったのか
伍子胥は「日暮れて道遠し」と言っている様に、楚の平王の屍を辱めた程度では、目標は到達してはいなかったという事になるはずです。
そうなると、伍子胥の目指した道(目標)が何だったのか?という事ですが、楚を滅ぼす事だったのでしょう。
この時に、楚の君主である楚の昭王は逃亡中ではありましたが、呉は捕える事が出来ませんでした。
さらに、呉王闔閭の弟の夫概が勝手に国許に戻り独立してしまった事から、呉王闔閭も伍子胥も楚から撤退し、楚の昭王は郢を取り戻す事が出来たわけです。
その後に呉は越の句践と欈李の戦いが勃発し、范蠡の奇策により呉王闔閭が戦死しました。
後継者になった呉王夫差は中原への進出を目指し、北方の斉への侵攻を行っています。
こうした事情から、闔閭が亡くなった時点で、伍子胥の楚を滅ぼす目的は、頓挫したと言えるでしょう。
伍子胥が申包胥に「日暮れて道遠し」の言葉を述べた時が、一番目標に近かったと見る事が出来ます。
伍子胥の楚を滅ぼす目標は達成されず、最後まで目標には到達できませんでした。